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岡山地方裁判所 昭和38年(ワ)595号 判決 1970年6月10日

原告 則武真一 外四名

被告 株式会社 山陽新聞社

主文

一、原告らがそれぞれ被告に対し、労働契約上の権利を有することを確認する。

二、被告は、原告則武に対し金六三五万一、四九二円、原告神吉に対し金五三六万四、六七三円、原告西森に対し金六〇三万六、六八〇円、原告萩原に対し金五九〇万六、三七七円、原告小野に対し金五二八万八、一〇八円の各金員と、これらのうち、別紙(一〇)、(一一)、(一二)、(一三)、(一四)記載の各金員については同各別紙記載の各遅延損害金起算日以降、それぞれ支払ずみまで、別紙(一〇)、(一一)、(一三)記載の各金員については年六分、別紙(一二)、(一四)記載の各金員については年五分の各割合による金員を支払え。

三、被告は、昭和四四年一二月以降、毎月二六日限り原告則武に対し金六万六、四五九円、原告神吉に対し金六万五、五五八円、原告西森に対し金六万四、八八二円、原告萩原に対し金六万七、一三九円、原告小野に対し金六万六、二七八円、その翌月二六日限り原告則武に対し金一万三、五三八円、原告神吉に対し金四五八円、原告西森に対し金一万二、二六四円、原告萩原に対し金一万二、九二四円をそれぞれ支払え。

四、原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

五、訴訟費用は全部被告の負担とする。

六、本判決第二項のうち、原告則武につき金三二六万一、四九〇円、原告神吉につき金二五五万九、二五九円、原告西森につき金二九八万九、六五〇円、原告萩原につき金二九一万九、五八七円、原告小野につき金二四六万三、六八二円、同第三項前段のうち、原告則武につき金六万二、九五九円、原告神吉につき金六万二、〇五八円、原告西森につき金六万一、三八二円、原告萩原につき金六万三、六三五円、原告小野につき金六万二、七七八円の各部分に限り、それぞれ仮に執行することができる。

事実

第一、請求の趣旨

一、原告らは被告に対し、いずれも労働契約上の権利を有することを確認する。

二、被告は、原告則武に対し金六六四万八、七九五円、原告神吉に対し金五三六万四、六七三円、原告西森に対し金六〇四万八、四二六円、原告萩原に対し金六二六万二、五四七円、原告小野に対し金五三三万三、六〇八円の各金員と、別紙(六)記載の各内金額に対する同各遅延損害金起算日欄記載の日以降、それぞれ支払ずみに至るまで、年六分の割合による金員を支払え。

三、被告は、原告則武に対し金八万七、四〇〇円、原告神吉に対し金六万六、〇〇八円、原告西森に対し七万七、六七四円、原告萩原に対し金八万七、〇六九円、原告小野に対し金六万六、二七八円をそれぞれ昭和四四年一二月以降毎月二六日限り支払え。

四、訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに右二、三項について仮執行の宣言を求める。

第二、請求の趣旨に対する答弁

一、原告らの請求をいずれも棄却する。

二、訴訟費用は原告らの負担とする。

第三、請求の原因

一、被告(以下被告会社ともいう。)は肩書地に本社を置き、東京、大阪、広島、高松他四市に支社、その他数十カ所に支局を有し、岡山県下においては最も有力な日刊新聞の発行を主要業務としている株式会社である。

二、原告らは被告会社に雇傭され被告会社の従業員となつた者であるが、入社年月および被告会社から解雇の意思表示を受けた当時の所属部署は左記のとおりである。

原告   入社年月     所属

(1)  則武真一 昭和二八・四  編集局整理部

(2)  神吉秀哉  同二六・三  企画局人事部

(3)  西森正春  同二五・九  工務局印刷部

(4)  萩原嗣郎  同二八・四

(5)  小野克正  同三一・一二 広告局広告部

なお、原告萩原は編集局社会部所属の外勤記者であつたが、昭和三六年七月一三日付で被告会社の従業員で組織している山陽新聞労働組合(以下組合という。)の組合業務専従者となり、解雇の意思表示を受けた当時も同様であつたが、昭和三八年七月一日付で専従解除となり、その旨被告会社へ通告された。

三、原告らはいずれも組合の組合員であつたが、解雇の意思表示を受けた当時、原告則武は執行委員長、同神吉、同西森は副執行委員長、同萩原は書記長、同小野は副書記長のいわゆる組合四役であつた。

四、被告会社は昭和三七年一一月一二日原告らをそれぞれ懲戒解雇したとして、同日以降原告らの従業員としての地位を否定するとともに就労を拒み、賃金、一時金(賞与)等の支払をしない。

五、(一) 原告らは被告会社より解雇の意思表示を受けた際、解雇予告手当をそれぞれ左記のとおり支給された。

原告   基準内賃金   基準外賃金    合計額

(1)  則武 二万七、八五〇円 七、七五四円 三万五、六〇四円

(2)  神吉 二万六、四二〇円   一九五円 二万六、六一五円

(3)  西森 二万六、八〇七円 五、一七八円 三万一、九八五円

(4)  萩原                 三万五、一二四円

(5)  小野 二万五、八九〇円        二万五、八九〇円

(二) 原告らは被告会社に対して労働契約上の権利を有する以上、解雇以降原告らに対して支払われる筈であつた賃金および一時金(以下賃金および一時金を含めて賃金等という。)の支払を受くべき権利を有する。

原告らが本訴において請求する賃金等の内容は、基準内賃金として<1>本給<2>家族手当<3>身分手当<4>勤続手当<5>新聞代補助<6>通勤手当、基準外賃金として原告則武、同神吉、同西森については時間外勤務手当、原告萩原については外勤記者基準外打ち切り手当および深夜勤務打ち切り手当ならびに夏季および年末一時金(賞与)であるが、その支給を受くべき根拠は次のとおりである。

1 基準内賃金

(1) 本給の上昇(定期昇給およびベースアツプ)

被告会社は、毎年春季に従業員に対して定期昇給およびベースアツプを実施してきたが(但し、昭和三八年度のみは二月の臨時昇給を含む。)、組合は組合員の定期昇給およびベースアツプについては毎年春闘の際これらに関する要求を会社宛提出して団交を行ない、組合員一人平均額により交渉を妥結し、そのつど賃金協定(労働協約)を締結してきた。各年度における賃金協定の締結年月日、協定の内容は別紙(一)に記載のとおりである。

賃金上昇額の計算方法は、一律アツプおよび本給スライド分については機械的に計算される(本給スライド分は、各人の本給の組合員平均本給に対する割合を乗じて算出できる。)また、査定部分である調整金については、原告らの本給を平均本給で除した比率を調整金額に乗じて算出するのが合理的である。調整金は会社の査定に委ねられているとはいえ、それは会社の完全な自由裁量ではなく、従業員の勤務成績に対応して公正妥当になされるべきものである。原告らはいずれも平均以上の勤務成績であつたから、少なくとも前記平均調整金額は当然支給を受けることができる。元来、原告らに査定の基礎とすべき資料、実績を欠くのは、会社の不当解雇および不当な就労拒否がその原因なのであり、かかる事態は会社の責に帰すべき事由によるのであるから、査定につきその平均ランクをとりこれを原告らの昇給に適用して不都合はない。したがつて、公平の見地より、査定部分につきたとえ会社の個別的意思表示がなくとも、右の限度における昇給の効力は原告らに対して当然に及ぶと解すべきである。なお、本件に関連する賃金支払仮処分命令申請事件(当庁昭和四三年(ヨ)第一九四号)において、被告会社は原告らの実績調整金なるものを算定し、その金額を明示しているのであるから、原告らの右主張が認められないとしても、右実績調整金は当然支給されるべきである。

仮に調整金の支給につき被告会社の個別的意思表示を要するとしても、原告らは平均調整金に対して具体的かつ確実度の高い期待権を有しており、これが被告会社の不当解雇および就労拒否により侵害されたのであるから、前記平均調整金相当額を不法行為に基づく損害賠償として請求する。

(2) 家族手当

被告会社の賃金給与規定第四条は、扶養家族を有する従業員に対して、一人目一、〇〇〇円、二人目五〇〇円、三人目五〇〇円(いずれも月額)なる基準に従い家族手当を支給する旨定めている。そして、解雇以降原告則武、同西森、同萩原はいずれも扶養家族三名、原告神吉は一名と変らず、原告小野は昭和三九年四月まで一名、同年五月より二名、昭和四〇年二月より三名に増加している。

(3) 身分手当

(イ) 被告会社は、社員の中から適格者を選び役員待遇以下主事に至るまで七段階の身分を定め、そのうち特別参事に対して五、〇〇〇円、参事に対して三、五〇〇円、副参事に対して一、七〇〇円の各身分手当(いずれも月額)を支給している。右身分決定の基準は会社の定めた内規によれば、主事、副参事、参事の各在任期間が三年以上経過した場合には選考を受けたうえ一階級昇格しうるが、経過措置として副参事への昇格は社員もしくは主事期間を通じて九年以上経過した者を選考有資格者とする旨規定している。

(ロ) 原告らの入社年月は前記のとおりであり、原告則武は昭和二八年一〇月、原告神吉、同西森は昭和三〇年一月、原告萩原は昭和二九年一月、原告小野は昭和三一年一二月それぞれ社員となつているが、いずれも能力、技術、経験、学識とも優秀であり、解雇以前の勤務成績も良好であつたから、継続して勤務していたならば前記各年限の到来により、原告則武、同萩原は昭和三八年一月副参事、昭和四一年一月参事、昭和四四年一月特別参事に、原告神吉、同西森は昭和三九年一月副参事、昭和四二年一月参事に、原告小野は昭和四〇年一月副参事、昭和四三年一月参事にそれぞれ昇格し得た筈であり(被告会社においても第二組合たる山陽新聞第一労働組合に所属している者に対しては前記各年限到来と同時に例外なく昇格の発令がなされている。)、したがつて所定の身分手当の支払を受くべき権利を有する。

(ハ) 仮に前記各昇格につき被告会社の個別的意思表示を要するとしても、原告らは昇格に対して具体的かつ確実度の高い期待権を有しており、これが被告会社の不当解雇および就労拒否により侵害されたのであるから、前記各身分手当相当額を不法行為に基づく損害賠償として請求する。

(4) 勤続手当

被告会社の賃金給与規定第八条は、満三年以上の勤続年数を有する従業員に対して勤続満一年につき一〇〇円(月額)を逐次加算して支給する(但し、勤続満三〇年で加算打ち切り)旨定めている。原告らの入社年月は前記のとおりであり、いずれも解雇の意思表示を受けた当時勤続満三年以上に達していたから、それぞれ所定の勤続手当を受ける権利を有する。

(5) 新聞代補助

(イ) 被告会社においては、古くから従業員に対して被告会社の発行する山陽新聞の購読を義務づけ、その代りに新聞代の一部補助を行なつている。山陽新聞の購読料(定価)は、昭和三七年一〇月まで三九〇円、同年一一月より四五〇円、昭和四〇年一〇月より五八〇円、昭和四三年一一月より六六〇円であるが、これに対して被告会社からの新聞代補助は、原告らが解雇の意思表示を受けた当時二一〇円、昭和四〇年一〇月より三四〇円、昭和四三年一一月より三六〇円である。新聞代補助の支給方法は、現実には新聞購読料(定価)と補助額との差額を、被告会社が賃金支給の際控除する形で行なわれており、原告らの解雇予告手当中にも算入されていたものである。右の如く、新聞代補助は賃金の一部としての取扱いがなされていたのであるから、原告らも当然所定の補助額の支給を受くべき権利を有する。

(ロ) 仮に新聞代補助が賃金の一部でないとしても、原告らは解雇以降も継続して山陽新聞を購読しているが、原告らが解雇されなかつたら当然新聞代補助額相当の金額を差し引いた低廉な価格で山陽新聞を購読できた筈であるのにこれが妨げられたのであるから、その差額分(新聞代補助相当額)を不法行為に基づく損害賠償として請求する。

(6) 通勤手当

被告会社の通勤手当支給規定(昭和四四年二月より実施)は、勤務場所の施設もしくは構内に居住する場合を除き、全従業員に対して、勤務場所より片道二キロ未満および二キロ以遠に居住する場合に分け、前者については定額、後者についてはその通勤形態(徒歩、自転車、自家用車、交通機関等)に応じて所定の通勤手当を支給する旨定めている(但し、その支給開始は昭和四四年三月から)。右基準によると、原告則武は五〇〇円、原告神吉は一、三〇六円、原告西森は七〇〇円、原告萩原は八〇五円、原告小野は一、五〇〇円の支給を受くべき権利を有する。

2 基準外賃金

(1) 被告会社の基準外賃金中、時間外勤務手当、深夜割り増し手当、早朝勤務手当、休日勤務手当は基準内賃金中の所定賃金月額に一定の係数と勤務時間数を乗ずる方法で算定されているが、原告則武、同神吉、同西森の三名が基準外賃金として請求するのはすべて時間外勤務手当(賃金給与規定第二条第二項(イ))である。

時間外勤務手当の計算は、

所定賃金月額/179×1.25×時間外勤務時間

なる算式をもつて算定されるが(賃金給与規定第一二条第一項)、右算式中の所定賃金とは基準内賃金中の本給、職分手当(身分手当を含む)、勤続手当の合計額をいう。しかし、前記原告らは解雇以降就労を拒否されている結果現実には時間外勤務を行なつていないので、右算式中の時間外勤務時間は解雇以前三カ月間の平均時間外勤務時間を基準とせざるを得ない。なお、原告小野については、解雇以前も時間外勤務は全く行なつていなかつたので、基準外賃金として請求する部分は存しない。

(2) 原告萩原は外勤記者であるため、基準外賃金は外勤記者基準外打ち切り手当および深夜勤務打ち切り手当から構成される(賃金給与規定第二条第二項(ホ)、(ヘ))。前者は本給、職分手当(身分手当を含む)、勤続手当の合計金額を基準としてこれに対応する所定の金額が支給されるものであり、後者は深夜勤務時間数に比例するが、原告萩原は解雇以降就労を拒否されている結果現実には深夜勤務を行なつていないので、他の外勤記者の平均深夜勤務時間数を基準とせざるを得ない。

3 一時金(賞与)

被告会社は、毎年六月および一二月に従業員に対して夏季および年末一時金(賞与)を支給しているが、組合は、前記定期昇給およびベースアツプの場合と同様、組合員のそれについては毎年これらに関する要求を会社宛提出して団交を行ない、組合員一人当りの平均支給額により交渉を妥結し、そのつど一時金支給協定(労働協約)を締結してきた。各年度六月および一二月における一時金支給協定の締結年月日、協定の内容は別紙(二)に記載のとおりである。一時金の中には会社の査定部分たる調整金が存するが、原告らは平均以上の勤務成績を有するから、協定中に明示されている本給に対する調整金の割合を原告らの本給に乗じて算出した平均調整金を基準とすべきであり、その理由は前記定期昇給の項で述べたところと同一である(なお、昭和三九年夏季一時金からは協定書中に調整金の比率が明示されなくなつたが、被告会社は団交の席上においてはこれを明示しているので、これに基づいて原告らの平均調整金を算定した。)

仮に調整金の支給につき被告会社の個別的意思表示を要するとしても、原告らは平均調整金に対して具体的かつ確実度の高い期待権を有しており、これが被告会社の不当解雇および就労拒否により侵害されたのであるから、右平均調整金相当額を不法行為に基づく損害賠償として請求する。

(三) 以上を総合すると、原告らが解雇の意思表示を受けた昭和三七年一一月分以降本件口頭弁論終結時(昭和四四年一一月二七日)までの得べかりし年月別基準内賃金および基準外賃金ならびに各期別一時金(賞与)の各額と総額は、それぞれ別紙(三)、(四)記載のとおりであり、その合計額は別紙(五)記載のとおりである。

さらに、昭和四四年一二月以降(口頭弁論終結以後の)毎月二六日限り、原告らは前記別紙(三)中昭和四四年一一月分基準内外賃金合計欄記載の金額と同額の月額賃金の支給をそれぞれ受け得る筈である。但し、原告萩原を除いた原告らは解雇の意思表示を受けた昭和三七年一一月分の賃金中、解雇の日以前の賃金としてそれぞれ、原告則武二万一、三六二円、原告神吉一万五、九六八円、原告西森一万九、一九〇円、原告小野一万五、五三四円の支給を被告会社より受けているので、前記別紙(五)記載の合計額より右各支給金額を差し引いて請求する。なお、遅延損害金は商事法定利率年六分の割合により請求するが、賃金については一年毎にまとめ、該当年度の一二月分支給日の翌日(昭和三九年三月までは基準内賃金が二八日、基準外賃金が翌月一〇日にそれぞれ分割支給されていたので、該当年度の翌年の一月一一日、昭和三九年四月以降は賃金全額が毎月二六日に一括支給されているので該当年度の一二月二七日)を、一時金(賞与)については各支給日の翌日(分割支給の場合は最後の支給日の翌日)を、それぞれその起算日とする。

六、よつて、原告らは請求の趣旨記載のとおり判決ならびに仮執行の宣言を求める。なお、請求の趣旨第三項は口頭弁論終結時以降の将来の給付を求める部分であるが、被告会社は原告らに対して強い敵意を抱き今後も原告らを自発的に復職させたうえ賃金を支払うことは全く期待できないので、右請求を行なう必要性が存するのである。

第四、請求原因に対する認否と反論

一、請求原因一、ないし四、および同五、(一)の事実は認める。

二、(一) 同五、(二)、1(1)のうち、本件解雇以降被告会社と組合との間で毎年度締結された賃金協定の締結日時および協定内容ならびに各定期昇給中の調整金について原告らが平均の勤務成績と査定されたとするならば、その昇給額、新本給額が原告ら主張の如く別紙(三)中本給欄記載の金額となることを認め、その余は争う。

査定部分たる調整金については、原告らに対して確定した金額の調整金を支給すべき旨の被告会社の個別的意思表示が現実になされていない以上、少なくとも定期昇給中調整金は加算すべきでない。また、本件解雇は後記の如く適法かつ有効なのであるから、原告らに対する不法行為の成立する余地も存しない。仮に調整金についても支払義務があるとしても、原告ら主張の組合員平均本給との比例計算により原告らの調整金を算出する方法は合理的とはいえず、原告らの解雇直前に実施された昭和三七年四月の定期昇給時における原告らの実績調整金率をもつてこれを算定するのが合理的である。

(二) 同五、(二)、1(2)の事実は認める。

(三) 同五、(二)、1(3)のうち、(イ)の事実は認める。しかし、昇給を含む一切の人事権は会社の権限に属し(労働協約第三章「人事権」の項)、身分についても所定の年数を経過して選考資格を取得した社員の中から選考のうえ昇格を決定し、昇格した身分に応じた所定の手当を支給するのが身分手当なのであり、右昇格は年数の経過により自動的に生ずるものではない。原告らに対しては、現実に昇格の発令がなされていない以上、原告らの身分手当に関する請求は明らかに失当である。また、本件解雇は有効であるから、不法行為の成立する余地も存しない。

(四) 同五、(二)、1(4)の事実は認める。

(五) 同五、(二)、1(5)、(イ)のうち、賃金の一部としての取扱いがなされていたとの点を除きその余の事実は認める。

しかし、原告ら主張の新聞代補助なるものの実体は、被告会社の発行する山陽新聞の購読料について被告会社従業員の特典としていわゆる特別定価(購読料と補助額との差額を差し引いた価格)なるものを設定し、これを組合との協定に基づき賃金から控除しているに過ぎず、労働基準法一一条にいう労働の対償にあたらないことは明白であるから、原告らがこれを賃金の一部として請求するのは失当である。また、解雇以降は原告らに対して山陽新聞の購読を義務づけてもいないから不法行為の成立する余地も存しない。

(六) 同五、(二)、1(6)の事実は認める。

しかし、通勤手当は被告会社が従業員に対して恩恵的に支給しているものであり、仮にそうでないとしても実費弁償的性格を有するものであるから、これを賃金の一部として請求するのは失当である。

(七) 同五、(二)、2(1)のうち、被告会社の定めた基準外賃金の算定方法が原告ら主張のとおりであることを認め、その余は争う。基準外賃金の算定基礎となる基準内賃金の種類およびその金額について前記の如く争いがあり、かつ原告ら主張の時間外勤務時間数も不明である以上、その請求金額も失当という他ない。

(八) 同五、(二)、2(2)のうち、原告萩原の基準外賃金が外勤記者基準外打ち切り手当および深夜勤務打ち切り手当から成ることを認め、その余は争う。原告萩原以外の外勤記者の平均深夜勤務時間数が不明である以上、同原告の請求も失当という他ない。

(九) 同五、(二)、3のうち、本件解雇以降被告会社と組合との間で毎年六月および一二月に締結された一時金支給協定の締結日時および協定内容を認め、その余を争う。なお、一時金中の査定部分たる調整金についての被告の主張は、前記定期昇給に関して述べたところと同一である。

(一〇) 同五、(三)のうち、被告会社が原告萩原以外の原告らに対して本件解雇のなされた昭和三七年一一月分賃金中日割計算により解雇の日より前の同月分賃金としてその主張額をそれぞれ支給したことを認め、その余を争う。なお、昭和三九年四月以降の被告会社における基準外賃金支給日は翌月の二六日である。

三、原告らに対する解雇理由

(一)  組合は、昭和三七年九月五日組合員約一〇〇名を動員して国鉄岡山駅前始め岡山市内十数カ所の目抜通りにおいて別紙(七)記載の如きビラ(以下本件ビラという。)約二万枚を一般市民に対して配布した。本件ビラは、後記の如く主として当時岡山県が提唱し、被告会社がこれを支持する立場から行なつていた岡山県南広域都市(いわゆる百万都市)推進のキヤンペーンを非難、攻撃する政治的意図に基づき配布されたものであるが、右に関連して被告会社の企業内事情を暴露、批判しており、その文面は随所に虚偽虚構ないしは歪曲誇張にわたる記載に満ち、被告会社の名誉、信用を著しく失墜させるとともにその業務にも著しい支障を来たさしめるものであつた。以下、本件ビラの記載内容が、如何に真実に反した虚偽のものであるかを明らかにする。

(二)(1)  「山陽新聞の経営者は少々かなづかいがおかしくてもほつておけといつています。」「読者へのサービスが低下してもいたしかたないというのです。」「紙面もいいかげんでいいと経営者がいう(後略)」との記載について

被告会社の経営者中誰一人として右記載の如き無責任な発言をした事実はない。右記載は、昭和三七年八月一七日の被告会社編集局校閲部会における校閲部長吉井木正夫の校閲基準緩和についての指示説明をことさらに曲解誇張したものに過ぎない。

被告会社においては、昭和三七年七月経営の近代化に関する諸方策を検討する機関として総合企画審議会(社長以下全取締役、各局長等をもつて構成)が設置され、同時に同審議会の下部機関として漢テレ、組織、事務各専門委員会が設けられた。このうち、漢テレ専門委員会に対しては、漢テレ(漢字テレタイプの略)総行数を上げ、機械化能率を増大するため編集、工務の製作部門においてとるべき方策に関し諮問がなされたが、同専門委員会は検討の結果、<1>スタイル基準緩和を同年八月一八日より試験的に実施し、一週間のデータをとつてその可否を検討する<2>漢テレのゲラ校閲を実施し様子をみる、ことの二方針を決定した。スタイル基準の緩和とは、一言にしていえば山陽新聞独自の用語スタイルを漢テレ方式によるニユース配信を受けていた共同通信社の採用していた用語スタイルに合わせようというものである。例えば、一三%という場合、これを一三%、十三パーセント、一三パーセント等様々な書き方があり、山陽新聞ではこのうち最後の表記法のみを使用していたが、今後は共同通信スタイルに同調して両用を認め、山陽新聞独自のスタイルにこだわらないというものである。従来、漢テレ原稿においては、共同通信と山陽新聞の用語スタイルの相違により同原稿の赤字(誤字誤植等の校正)のうち約六割がスタイルの相違のみに基づく活字差し換えであつた。したがつて、右スタイル基準の緩和は、赤字を著しく減少させ、工務局における爾後の作業工程を簡素化、かつスピードアツプし、煩瑣な活字差し換えに伴なう誤字誤植を減少させることにも役立つわけである。また、漢テレ原稿のゲラ校閲とは従来小ゲラの校閲に際しては共同通信から写真電送により別途送られてくるモニター原稿と照合していたが、このやり方は漢テレ受信装置が正しく作動している限り全く無駄な作業なので、漢テレ原稿を記事ごとに印刷したいわゆる小ゲラのみにより校閲するというものである(但し、人名、地名、その他固有名詞、数字、日時等については従来どおりモニター原稿と照合する)。従来から共同通信の漢テレ原稿は精度が極めて高く、誤字誤植等の赤字は非常に少なかつたが、右小ゲラ校閲により校閲作業をより迅速かつ正確にするということがその目的であつた。

前記日時における吉井木校閲部長の指示説明とは、漢テレ専門委員会における右決定の趣旨を校閲部員に対して忠実に伝えたに過ぎないものである。右決定の趣旨からも明らかな如く、スタイル基準の緩和はあくまで用語スタイルのみに関するものであつて、「かなづかい」とは全く別問題である。かなづかいは、現在においては表音的仮名づかいとして内閣訓令により公用文上採用されており、これを適当に変更したり緩和したりできるものでないことは言うまでもなく、したがつて、吉井木部長が「かなづかいがおかしくてもほつておけ」などと言う筈はなく、また現実にも右のような発言をした事実はない。なるほど、完全原稿を前提とする限りスタイルは統一されることになり問題はないが、それまでの間過渡的に両用の用語スタイルが紙面に現れる可能性はあるものの、実施結果の調査によつても格別見苦しい印象は受けないとの報告がなされている。しかも、両用のスタイルが現れるといつても、同一記事内では統一するよう指示されていたのであり、用字用語集を配布して記者の教育も行なわれることとなつたのであるから、それは殆んど読者に意識されない程度のものであり、遠からず漸減してゆくものなのである。このように、校閲基準緩和の問題は、漢テレ能率の向上を目的とし、新聞製作過程の迅速、合理化をはかる一方策として実施されることになつたものであつて、組合の主張する如く合理化による人員整理とは何らの関係もなく、また読者に対するサービス低下に結びつくものでもない。以上のとおり、校閲基準の緩和に関する漢テレ専問委員会の決定および吉井木部長の指示説明内容と対比すれば、本件ビラの前記各記載は全く事実に反したものであることが明らかである。しかし、右各記載を読んだ一般市民および読者が山陽新聞の経営者は合理化のためかなづかいなどどうでもいいような好い加減な新聞を製作販売しているかの如き印象を抱くことは当然であり、新聞経営者としては重大な関心事といわざるを得ない。

(2)  「百万都市推進の宣伝をくる日もくる日も気狂いのように続けています。」「独占本位の三木県政のご用をうけたまわる広報紙になりさがつている」との記載について

被告会社は、昭和三五年五月三〇日付山陽新聞紙上に岡山、倉敷両市を中心とする「百万都市」の建設を提唱する社告を掲載して以来、「一貫して右百万都市運動推進に関するプレスキヤンペーンを行なつてきた。日々飛躍する近代産業を中心に基幹産業都市としての資格と立地条件を備えている岡山県南地域に人口百万以上の大都市を作り、その人口圧力により東京、大阪などの既成大都市に対抗すると同時に、政治、経済、文化のあらゆる面で地方繁栄の拠点とする、というのがその趣旨とするところであり、地域社会の発展に寄与することが新聞の責務および使命であるとの前提のもとに超党派的立場からなされたもので、もちろん特定党派の立場から特殊的利益を追求するものではなかつた。もつとも、プレスキヤンペーンは、新聞が社会の進歩と開発を促進するため報道、論評その他新聞の有する全機能を駆使して行なう社会的活動なのであり、その立場上できるだけ超党派的立場からの発言が望ましいが、必要な場合には政治性を帯びることもあえて回避すべきではない。また、プレスキヤンペーンは、一定の方向に読者の関心を集中させ世論の形成を意識的に意図するものであるから或る程度の主観性も排除するわけにはゆかない。近時、全国各地域において主要新聞社は、それぞれの関係地区の開発に関するプレスキヤンペーンを展開しているが、昭和三七年度のみに限つても朝日新聞の全国的国土開発運動、読売新聞の百万都市の造成、神戸新聞の地域開発総合化運動、河北新報の東北開発等枚挙にいとまなく、とくに毎日新聞西部本社の行なつた北九州五市合併促進に関する強力なキヤンペーンはその業績を高く評価され、同年度の新聞協会賞を受けた。被告会社の行なつた百万都市推進のキヤンペーンは、他社のそれと比較してむしろ消極的に過ぎるとの見解もあるほどで、もとよりプレスキヤンペーンの限界を越えたものではなく、これを評して百万都市推進の宣伝を気狂いのように続けているとの前記ビラの記載はいわゆる「新聞の自由」により認められている正当な行為を否定し、新聞編集の常識を逸脱した悪意のある中傷もしくは誹謗というほかない。しかも、被告会社は百万都市推進のキヤンペーンを行なう一方、右問題に関する賛否の動向を公正忠実に報道すると共に、社説、解説記事等によりその時々の問題点を指摘批判し、計画の適切な実施を要望していたのであるから、山陽新聞の百万都市関係報道記事に原告らの主張するような偏向も認められない。仮に百万都市推進記事と反対記事の取扱いに若干軽重の差があつたとしても、当時岡山県が提唱していた岡山県南広域都市計画(県南地区三三市町村の大合併構想)に対する県民の反応は、反対派の動向がとくに活発であつたとされる昭和三七年七、八月頃においてさえ賛成派の動向の方がはるかに大きかつたのであり、新聞記事が或る出来事を対象として構成されるものである以上、出来事の差異が記事の構成に反映するのは当然であるから、これをもつて偏向の証左とすることはできない。

なお、山陽新聞は、自由と正義を信条とし報道の真実と主張の公正をもつて健全な世論の構成と文化の向上に寄与することを綱領として掲げ、健全中正なる主張を貫くことを編集方針とした一党一派に偏することのない独立的な立場を守つているのであり、たまたま岡山県が提唱していた県南地区三三市町村の大合併計画と被告会社の主張とが一致していたからといつて当時の三木岡山県知事および三木県政とは何のかかわりもない。もとより、同知事から特別の恩顧なり物質的援助を受けたこともなく、したがつて三木県政の宣伝、広報を行なつた事実も存しない。三木県政の広報紙との被告会社にとつて甚だしく不名誉な評価が如何に根拠に基づかない中傷であるかは明らかである。

(3)  「記者の書いた原稿をかきなおし、白を黒にしたウソの報道をした」との記載について

新聞に対する非難のうちでこれほど露骨かつ激烈なものはない。事件の真相を正確かつ忠実に伝えることは新聞倫理綱領にも明記するところであつて、いわば新聞の生命ともいうべきものである。新聞記事に白を黒にしたウソの報道があることを指摘し、しかもそれが新聞製作者の故意に基づくものであるという以上、その新聞に対して致命的な打撃を与えることを意図していると解するほかない。したがつて、右記載は単なる表現の行き過ぎと評価するには重大過ぎる事柄である。右記載は、昭和三七年七月一六日開催された倉敷市議会県南広域都市調査研究特別委員会小委員会の議事を取材した倉敷支社の吉沢記者が本社政治部デスク宛送つた原稿と、右議事について翌日の山陽新聞朝刊に掲載された報道記事に関するものであるが、以下右ビラの記載が虚偽の中傷、誹謗である所以を明らかにする。

(イ) 前記特別委員会は新産業都市建設促進法(以下新産都法という。)の施行を目前に控えた昭和三七年三月、倉敷市が同法による指定を受けるかどうかおよび区域指定と近隣市町村との合併の関係すなわち同法の解釈適用につき調査研究することを目的として設置され、市議会議員全員をもつて構成されたが、さらに市議会議長、同副議長を含む委員一四名で組織された小委員会が新産都法による地域指定を受けた場合の利害得失等具体的な問題の調査研究に当ることとなつた。そこで小委員全員が昭和三七年七月八日上京し、三日間にわたり岡山県選出の国会議員経済企画庁、自治省、川崎製鉄株式会社千葉工場等を訪ね、意見の聴取ならびに視察を行なつたが、前記七月一六日開催の小委員会は右東京における調査研究結果の報告およびその取りまとめを行なうため開催されたのである。

(ロ) 右の如く当日の小委員会の中心議題は倉敷市が新産都法による地域指定を受けるべきか否かについての調査研究結果の取りまとめにあつた以上、新聞記事としてこれを構成する場合その対象議題についての結論を中心とすることは当然であり、前記山陽新聞記事が、新産業都市の区域指定を受ける、合併は必要だが新産都市の範囲や合併時期などについてはさらに検討する、との結論を冒頭に記載したのは正確かつ適切な編集であつたというべきであり、なお地域指定の範囲の問題に関連して岡山県の提唱していた県南広域都市実現に対する賛否の意見が各委員から述べられたとしても、それはあくまで附随的な発言であり主要テーマとして捉えるべきではない。

(ハ) もつとも、新産業都市の地域指定と関係市町村の合併問題とは表裏一体といわれるほど密接な関係があるから(新産都法二三条一項参照)、記事の主要テーマではないにしても県の大合併構想に対する各委員の意見がそれなりに報道すべき価値を有することを否定するものではない。そこで、これを検討してみると、当日の小委員会に出席した委員は一二名であり、尾高委員は市議会議長であつた立場上県案賛成の雨宮委員は同委員会委員長であつた立場上いずれも個人的意見の発表を差し控え、残る一〇名の各委員が順次意見を述べ、このうち雨宮委員長、山本、安原、田中各委員の三名が県の大合併構想に対し賛成、古谷委員が反対、藤原、難波両委員が高梁川下流三市(倉敷、玉島、児島の各市)或いは四市(上記三市に総社市を加える)合併論であつたが、他の四名中秋山、吉田、平山各委員の意見は賛否いずれとも判然としがたく、また右三市四市合併論にも与しない瞹味なものであり、最後の藤川委員は従来水島工業基地建設促進協議会加盟の倉敷、玉島、児島三市が新産都市指定問題についても緊密な連絡を保ちつつ話し合つてゆくべきだとする主張で、右三市四市合併論とも異なるいわば三市協議論とでもいうべきものであつた。したがつて、前記山陽新聞記事が右の点に関して、「一部委員から県の計画する七市二六ケ町村の合併より高梁川下流の四市或いは三市を中心に新産業都市の地域指定を受け、合併に進むべきだとする意見も出た」とし、さらに「委員の中にはこれまで水島工業基地建設協議会を作り、話し合つてきた玉島、児島の両市と協議する必要があるとの意見も出た」と記載したのは、前記小委員会における各委員の意見の動向を伝えるものとして全く正確であつたというべきである。ところが、右小委員会の取材にあたつた吉沢記者が本社政治部宛送つてきた原稿には「高梁川下流三市四市合併論を中心として県の提唱する大合併構想には消極的な意見が多かつた」旨記載されており、同部デスクが吉沢原稿の到着以前既に他から入手していた情報とも喰い違う点があつたので、改めて同部デスクが調査して前記小委員会において高梁川下流三市四市合併論を明確に表明した委員は一二名中二名に過ぎなかつたことを確認したうえ、「一部委員から」と吉沢原稿を訂正したのであり、これを評して「白を黒にしたウソの報道」というのは全く失当である。むしろ、吉沢記者の取材こそ、自己の恣意、独断に基づき賛否いずれとも判然としない発言を含めて消極的という多義にして不明確な表現により、あたかも県案反対の意見が多かつたかの如く報道しようとするものであり、「ニユースの報道には絶対に記者個人の意見をさしはさんではならない。」旨定める新聞倫理綱領に違反し厳しく指弾されなければならない。

(ニ) なお、前記山陽新聞記事の見出しには「広域都市」(横見出し)、「地域指定受ける」(縦見出し)と記載されているが、新聞記事における見出しはいわゆるキヤツチフレーズともいうべきものであるから、これを広域都市の地域指定を受けると読むべきでないことは新聞編集に携わる者の常識に属し、また一般読者も右記事の本文を一読すれば直ちに「地域指定を受ける」とは新産業都市の地域指定を受ける趣旨であることを諒解できるのであり、これをも評して白を黒にする不当な歪曲というのは余りにも牽強付会といわざるを得ない。右「広域都市」なる横見出しは、前記々事が広域都市関係の記事であることを表示したものに過ぎず、山陽新聞の従来の記事中にも屡々用いられているところであり、原告らの主張する如き特別の意図は何ら存しない。

(4)  「いま社内では良心的な記者が不当な配転を押しつけられたり(後略)」との記載について

被告会社における配置転換は、常に適材適所主義に則り行なわれており、もちろん右ビラ記載の如き良心的記者に対して不当な配転を強制したような事実は存しない。昭和三六年および昭和三七年の人事異動のいずれも正当な業務上の理由に基づき行なわれており、組合の活動家を狙いことさら差別的な取扱いをしたこともない。

(5)  「山陽新聞を兵営や刑務所のようにしようとするフアツシヨ的な就業規則」との記載について

(イ) 被告会社は昭和三七年六月三〇日組合に対して新就業規則の改正案を提示したが、これは旧就業規則が昭和二二年九月に体裁、内容とも不備のまま制定されて以来さしたる改正も加えられないまま推移し、当時の実情にそわない面が多々生じてきたので、昭和三四年頃から改正作業に着手し昭和三六年には一応の成案は完成していたが、新労働協約も締結されたのを好機として従来からの職場における就業上の慣行などを参考にして実情に合致するようこれを成文化したものに過ぎず、何ら根拠もなく突然その制定をはかつたわけではない。

(ロ) 新就業規則の内容は、従業員として当然遵守すべき常識的事項を規定したに過ぎず、一般企業のみならず他の主要新聞各社の就業規則と特に異なつたところは存しない。以下、組合が右ビラの記載により攻撃していると思われる各規定について、それが何ら異とするに足りないのであるかを明らかにする。

<1> 携帯品の取り扱いに関する規定(就業規則四四条)

毎日新聞、大阪読売新聞社等の就業規則においては「会社が必要と認めたとき」は従業員の携帯品を点検する旨定めているが、被告会社の右規定においては「携帯品に不審の点がある場合」と具体的に定めて誤解や無用の混乱を生じないよう慎重な配慮がなされている。

<2> 就業時間中の離席、面会、外出等に関する規定(就業規則二四、二五、二六条)就業時間中みだりに職場を離れてはならない(これらの場合にはそれぞれ所属上長に届出を行ないその許可を得る)ことは当然であり、特に新聞社においては外部からの連絡等も多く、急を要する場合など所在不明では業務に支障を来たすこともあるので、右各規定が設けられたのであり、その趣旨を素直に理解すれば何ら異議のあるべきものではない。

<3> 入退場の規制に関する規定(就業規則四三条)

入場を拒否され、退去を強要されるのが当然である場合を同条一号ないし六号にわたり具体的に列挙しているものに過ぎず、右各号記載に該当する者が会社構内に放置されるならばそれこそ「刑務所」になりかねないのである。

(ハ) 組合は、新就業規則制定により被告会社が施設管理権を強調して組合活動および政治活動の制限、禁止を企図し、人権侵害の職場規律と懲戒規定を拡大したかの如く曲解しているが職場内での組合活動、政治活動の禁止は新就業規則の制定と全く無関心である。組合活動および政治活動を勤務時間外に行なうべきことは当然であり、その旨労働協約中にも明定されているところである。したがつて本件ビラにある「職場政暴法」との非難は少くとも被告会社の就業規則に対しては当らない。

以上のとおり、組合は運用の実績もない新就業規則に対して甚しい曲解に基づく誇張、歪曲をあえて行ない、本件ビラの読者に被告会社の正当な労務管理に関する誤まつた印象を植えつけたのである。

(三)  本件ビラの配布による会社内外の反響は大きかつた。被告会社部長をもつて構成する部長会は、本件ビラが組合員とはいえ会社に勤務し新聞の製作に従事する新聞人により作成配布されたことを重視し、この問題につき厳正な処理を望むよう要望書を会社宛提出したが、本件ビラが直接編集を担当している編集局各部長に与えた衝撃はとくに深刻なものがあつた。また、当時組合と併立状態にあつた山陽新聞第一労働組合は本件ビラが会社の名誉を棄損し信用を失墜させるものであることを憂慮し、早急な信用回復措置をとるよう会社宛要望したが、被告会社が直ちにその対策を決定しなかつたため、同組合自身その対策を講ずることとし、本件ビラが同じ新聞社で新聞製作に従事している新聞労働者に対するいわれのない重大な侮辱であるとの趣旨のビラ約三万枚を、本件ビラの配布された翌々日岡山市内において配布した。右ビラの配布にあたつては、同労組員の殆んど全員が自発的に参加した事実からみても、本件ビラの記載内容が如何に強い批判を受けたかを知ることができる。さらに、本件ビラの配布は山陽新聞販売業務に著しい障碍を与えた。山陽新聞の販売拡張員が講読を勧めに訪れると本件ビラの話しを持ち出されて断られるというような事例もあり、また他社の拡張員が本件ビラを持つて山陽新聞の購読中止を勧めて廻るという事例も現われるに至つた。被告会社においては、昭和三七年一〇月岡山県で開催された国民体育大会の時期をピークとして前月より積極的な紙数拡張運動に入つたのであるが、その矢先本件ビラが配布されたため運動挫折の感が強く、かえつて同年一〇月および一一月における購読中止は例年より三〇〇ないし五〇〇部程多く、各販売店に与えた影響は深刻であつた。

(四)  本件ビラの作成配布については、組合中央委員会および執行委員会において企画、立案、決定がなされ、教宣部長福武彦三作成の原稿を執行部で検討したうえ組合四役がこれを確認後印刷に廻し、配布にあたつては原告らが率先実行し、かつ組合員を指揮、指令したものであるから、組合四役の地位にある原告らが本件ビラの配布に関する一切の責任を負うべきことは明らかである。

よつて、原告らの本件ビラ配布行為は「会社の名誉または信用を著しく失墜させたとき」(就業規則一〇〇条五号)および「故意または重大な過失により会社に損害を与え、または業務に著しい支障を来たさしめたとき」(同条一八号)の懲戒基準にそれぞれ該当するところ、原告らは本件ビラ配布に先立つ昭和三七年七月二三日にも被告会社を誹謗する同種ビラを組合から配布せしめており、被告会社より厳重抗議を受けていたにもかかわらず再度本件ビラ配布の挙に出た点において情状も重いので、被告会社は就業規則九九条一項、四項七号により昭和三七年一一月一二日付で原告らをそれぞれ懲戒解雇に付したものである。

第五、被告主張の解雇理由(第四、の三、)に対する認否と反論(本件ビラ内容の真実性)

一、(一) 第四の三、(一)のうち、本件ビラの配布日時、場所、配布枚数、配布の態様ならびに本件ビラの記載内容が被告主張のとおりであることを認め、その余の事実を否認する。

(二) 本件ビラの記載内容は、以下明らかにする如くすべて真実に合致しており、また本件ビラの配布により被告会社の名誉、信用を棄損したり業務に支障を与えたようなことはなかつた。

二、(一) 第四の三、(二)(1)のうち、本件ビラ中被告指摘の記載が昭和三七年八月一七日開かれた被告会社編集局校閲部会における校閲部長吉井木正夫の校閲基準緩和に関する指示説明であることおよび同部長が従来のモニター原稿との照合による校閲を廃し、今後は原則として小ゲラ校閲のみに移行する旨指示したことを認める。その余の事実は不知。

(二) スタイル基準の緩和とは、要するに紙面による用字用語法の統一を放棄し、とにかく読んで意味さえ通じれば良いということであるから美しく読みやすい紙面作成という点からみてサービスの低下にほかならない。スタイル基準緩和の目的とするところは、活版部における活字差し換えの手間を省くことにあるというのであるが、完全原稿、完全文選の達成時期すら不明であるのにゲラにはできるだけ手を入れないようにし、しかも明白な誤植以外の、例えば数字が「一五」と「十五」というように統一されていなくとも、また動物名が片仮名でなく平仮名であつても、さらに音訓でも多少当用漢字に含まれていない字でも、今後の校閲に際してはこれらを無視すべしというのが吉井木部長の指示なのであるから、これはまさしく本件ビラに記載してある如く「少々のかなづかいがおかしくてもほつておけ」との趣旨にほかならない。被告は狭義の「かなづかい」の字義を捉えて右の記載が虚偽である旨主張するが、前記吉井木部長の指示内容に照せば、これをかなづかいの変更と解されても無理からぬところがある。しかも、昭和三七年八月三一日付社報には漢テレ専問委員会の方針として「送りがな音訓に移行する方針である」と明記しており、前記校閲部会以降は校閲作業の変更に関する指示は何らなされず、部会も一切開かれていないのであるから、前記部会においては送りがなを含めて校閲基準緩和の方針が伝えられたことは疑問の余地がない。なお、右スタイル基準の緩和直後から山陽新聞は矢つぎ早に増ページ発行を強行するようになつたが人員の補充はなされなかつた。かくして、本件ビラの右記載は実質的な人減らし政策の中における労働強化と紙面の質の低下との密接な関連性を訴えたのである。

三、(一) 第四、の三、(二)(2)のうち、山陽新聞が当時岡山県の提唱していた県南地区三三市町村大合併計画(いわゆる百万都市)に対してこれを支持する立場から大々的なキヤンペーンを行なつていたことおよび被告会社綱領の内容が被告主張の如きものであることを認め、山陽新聞が右百万都市関係の報道を公正忠実に行なつたとの点は否認する。その余の事実は不如。

(二) 昭和三七年二月岡山県が公式に百万都市計画を打ち出して以後、山陽新聞の右の点に関する報道は完全に県の計画の推進という立場から行なわれ、同新聞紙面には百万都市推進に有利な記事(例えば県当局者や賛成派の意見や動向等)は大々的に掲載され、これとは対照的に県の計画に対する反対、批判、慎重論等の百万都市推進に不利な記事(例えば、当時関係市町村住民の間で盛り上り展開されていた強力な合併反対運動の動向等)は掲載されないか、掲載されたとしても不当に小さく扱われた。記者の送稿した百万都市推進に不利な記事がデスクにおいてボツにされたり、改変或は削除されることは枚挙にいとまなく(その顕著な例が、後記の如く倉敷市議会県南広域都市調査研究特別委員会小委員会の取材にあたつた吉沢記者の送稿記事を改変して掲載した昭和三七年七月一七日付山陽新聞朝刊の記事である)、反対運動や反対、批判の意見を持つ人物に対する中傷なども屡々行なわれた。また、山陽新聞の紙面構成をみると、昭和三七年一月から同年八月までの間において、スペースでは百万都市推進記事は反対記事の一八倍を越え、掲載回数では約六倍半に達している。そして、紙面中トツプ記事になつた回数は推進記事が一月から四月にかけては三日に一回、五月から七月にかけては四、五日に一回、八月に至つては隔日状態となつたのに対し、反対記事は全期間を通じてわずか二回であつた。さらに、一本の記事あたりのスペースを比較しても推進記事は平均約一一八行、反対記事は約四〇行であり、前者は常に後者の二倍半以上の詳しさで掲載されるという意識的な差別も行なわれた。右の如き実態に照らせば、百万都市問題に関する山陽新聞の報道の偏向性は恐らく何人といえども否定できないところであろう。

右の点について、被告は、岡山県が公式に県南地区三三市町村の大合併計画を発表する以前から、山陽新聞独自の立場で百万都市建設を提唱していたことを強調し、さらにプレスキヤンペーンの有する本来的性格上その報道に或る程度の主観性を帯びることも不可避である旨強弁しているが、山陽新聞と岡山県当局の施政方針は常に不即不離の関係にありとくに百万都市を推進するという面では両者の方向は完全に一致し、県当局の百万都市に関する主張、方針、動向は細大洩らさず報道され、事実上県当局の言いたいことは全部掲載されたというのが実状であり、またプレスキヤンペーンも無制限に許されるのではなく、そこには(イ)市民の知る権利を損わないこと(ロ)市民の意見が分裂している問題を対象としないこと(ハ)新聞社外に存する何らかの権力ないし圧力に対する批判を控える如きものでないこと、の三要件を満たす限りにおいてとの限界が存在するのである。しかし、山陽新聞の百万都市推進キヤンペーンは右の限界をはるかに逸脱したものであり、被告主張の被告会社綱領に示されている如く「自由」かつ「公正」を標榜する新聞のなすべきことではなく、とくに岡山県下では最も有力なローカル紙たる山陽新聞としては県民の意見が真二つに分裂しているような重大な問題(岡山県当局は前記大合併の時期を昭和三八年一月と定めていたが、昭和三七年七、八月頃から急速に盛り上つた住民の強い反対運動、岡山、倉敷両市長の合併不参加表明等により大合併は実現せず、結局流産するに至つた。)については客観的中立公正な態度で報道すべきであつた。

このような岡山県当局の大合併計画の一方的推進に狂奔した山陽新聞の顕著な偏向性は多くの県民のひんしゆくを買い、「県のちようちん持ちすぎる」「県の広報紙、御用紙になりさがつた」との評価は当時多くの県民、読者間における批判の声としての常用語でさえあつた。のちに「山陽新聞不買運動」に発展した市民、読者の山陽新聞に対する強い批判(もつとも、組合は不買運動自体に対しては反対した)も、これと深く結びついている。

かくして、本件ビラの右記載は、山陽新聞の報道の偏向性を指摘するとともに、ビラの見出しに「真実の報道を要求しよう」とあるとおり被告会社が公正な立場から報道し、社会の公器としての役割を十分果すよう訴えたのである。

四、(一) 第四、の三、(二)(3)のうち、本件ビラ中被告指摘の記載が、昭和三七年七月一六日開かれた倉敷市議会県南広域都市調査研究特別委員会小委員会議事を取材した吉沢記者の本社宛送稿記事と右議事について翌日の山陽新聞朝刊に掲載された報道記事に関するものであること、当日の小委員会における県の大合併計画に対する各委員の意見中雨宮、山本、安原、田中の各委員が県案賛成、古谷委員が反対、藤原難波両委員が高梁川下流三市或は四市合併論(但し、後記の如く三市四市合併論の委員は右両名に尽きるのではなく他にも存在した。)であつたこと、尾高委員が市議会議長としての立場から、雨宮委員が委員長としての立場からいずれも意見の発表を差し控えたことを認め、本件ビラの右記載が新聞社たる被告会社に致命的打撃を与えることを企図していたとの点、当日の小委員会の中心議題は倉敷市が新産都法による地域指定を受けるか否かであつたとの点、秋山、吉田、平山各委員の意見が賛否いずれとも判然とせず、また藤川委員の意見が三市四市合併論とも異なる三市協議論であつたとの点はいずれも否認する。その余の事実は不知。

(二) 倉敷市議会県南広域都市調査特別委員会小委員会は、当時岡山県が提唱していた県南地区三三市町村大合併計画に対して倉敷市が如何に対処すべきかを検討調査する趣旨で設けられたものである。新産都法による地域指定の問題自体については、当時全国で名乗りをあげていた四〇数ケ所の候補地中最も立地条件に恵まれ開発熟度も高い岡山県南地区(水島臨海重化学工業地帯)が大分地区と並び最優先で地域指定になるであろうことは衆目の一致していたところであり、向う一〇年間に一、五〇〇億円にも昇る莫大な公共投資が行なわれる点からみてもこれを歓迎こそすれ何ら異を唱えるべき筋合ではないというのが当時の市議会(新産都法による地域指定に反対していたのは市議会議員中古谷議員唯一名のみであつた。)、市民内部における圧倒的感情であつた。問題は新産都の地域指定を受けるか否かではなく、前記大合併計画に賛成するか否か、或いはいわゆる段階合併(高梁川下流三市或は四市合併)で進むかどうかが論点なのであり、新産都地域指定問題はそれに附随する事項に過ぎなかつた。しかも、小委員会の開催された昭和三七年七月一六日当時は既に岡山、倉敷両市を除いた多くの関係市町村において合併推進決議が行なわれており、その段階において倉敷市議会がどのような態度を表明するかは極めて重大な事柄であつたので県民の注目は右小委員会に集中していたのであり、被告会社も当然これに注目していた筈である。したがつて、当日の小委員会における中心議題が大合併計画に対する賛否であつたことは明白な事実である。そこで当日の小委員会における各委員の意見中争いのある者につき検討してみると、被告が賛否いずれとも判然としないと主張する秋山、吉田、平山の三委員のうち吉田委員は前記高梁川下流三市四市合併論の藤原委員の意見に同調する旨はつきり述べているのであるから三市四市合併論であつたことは明らかであり、また秋山、平山両委員もその発言内容に照すと三市四市合併を明言していないとはいえ実質上三市四市合併論に近い意見とみるのが相当であり、さらに藤川委員に至つては事後に三市四市合併論であつたことを自から認めている位であるから当然三市四市合併論のグループに含ませなければならない。そうすると、前記の如く反対意見の古谷委員、三市四市合併論の藤原、難波委員を加えて県の大合併計画に賛意を表しなかつた委員は一一名中七名の多数であつたこととなる。したがつて、右小委員会の議事を取材した吉沢記者が、小委員会の当日における中心議題を念頭に置いたうえ「県の計画する七市二十六カ町村の合併により、高梁川下流の四市ないし三市の合併を中心に県の提唱には消極的意見の方が多かつた。」と送稿したことは、事実に即するもので全く正確かつ適切であつたというべきである。ところが、被告会社の編集デスクはあいまいな情報源から三市四市合併論は二名であると推断したうえ吉沢記者の右原稿を「一部委員から高梁川下流の四市あるいは三市を中心に新産業都市の地域指定を受け合併に進むべきだとする意見も出た。」と改変したうえ翌日の山陽新聞朝刊三面に記事として掲載した。ことさらに小委員会の会議内容全体を紹介することを避け、一部委員の動向のみ紹介することにより、あたかも小委員会が県の大合併計画に賛成する方向に進みつつあるかの如き印象を与える巧妙な改変であり、問題点をすり変えたそれこそ「白を黒にしたウソの報道」といわなければならない。なお、当日の小委員会の議事内容を新聞記事として構成する場合、当時の客観的状況を考慮に入れるならばその見出しも、「合併の範囲、時期はさらに検討」を主見出しとしてつけ、争点の少ない「新産都の地域指定を受ける」をワキ見出しとするのが新聞編集の一般常識に属するが、右記事は主見出しに「広域都市………地域指定受ける」を掲げ、ワキ見出しに「合併時期なお検討」としているのである。右主見出しは、ことさらに広域都市すなわち県南地区大合併計画と新産都市の地域指定とを一体であるかの如く構成し、よつて百万都市計画が国からも支持されているという誤まつた印象を読者に与えようとするものであり、ワキ見出しも右小委員会における意見の大勢は合併の範囲、時期とも含めて検討するというものであつたにも拘らず、あたかも合併の時期だけが問題となつているように見せかける編集であり、いずれも新聞報道の原則からみて「白を黒」というべき不当な歪曲である。「白を黒」の表現は、事実自体の相違と事実の構成の仕方による印象の相違ないし偏向性の指摘等に一般的に用いられている形容であり、本件ビラの右記載は吉沢記者の原稿改変を一具体例として挙げ、当時多くの読者が山陽新聞に対して抱いていた感情ないし心理を代弁したに過ぎない。

五、(一) 第四の三、(二)(4)の事実は否認する。

(二) 記者の不当配転は、昭和三〇年頃から組合の成長強化に伴なう組合活動の活発化に対する報復措置として屡々行なわれてきたが昭和三七年二月被告会社と意を通じていた組合員中の策動分子の工作により第二組合たる山陽新聞第一労働組合が分裂誕生してから以降は、組合を脱退して第二組合へ走らない組合員に対する不当配転が急激に増加した。本件ビラ配布当時の不当配転は、組合分裂後最初に強行されたそれを例示しているに過ぎない。当時、百万都市問題が県民を二分するような争点となつていた時期において、組合の組織切り崩し、第二組合の保護育成が露骨に進められるに従い、「組合員は百万都市取材から排除」「組合から脱退して第二組合へ加入しなければ支局送り」ということは会社内では公然の秘密であつた。こうした被告会社の圧力におびえて、県政担当の政治部記者で組合員であつた栗山欣一が玉島支局へ異例の格下げ配転されたのを契機として、外勤記者中より組合を脱退する者が続出するようになつた。また、その後も組合を脱退しない者に対しては外勤から内勤へといつた不合理な配転も次々と行なわれ、組合分裂直後は編集局政治、経済部は全員組合員で占められていたにも拘らず、相次いで配転された結果組合員記者はすべて右支部から閉め出されてしまつた。

かくして、本件ビラの右記載は、被告会社の意にそわぬ良心的記者が会社の組合敵視政策の犠牲となり、不当な配転を強制されている実情を訴えたものである。

六、(一) 第四の三、(二)(5)のうち、旧就業規則の制定年月、新就業規則の規定内容が被告主張のとおりであること、昭和三七年六月三〇日新就業規則改正案が被告会社より組合に対して提示されたこと、組合活動は勤務時間外に行なう旨新労働協約中に定められていることを認め、被告会社が新就業規則の制定により組合活動、政治活動の制限、禁止を企図したことなしとの点は否認する。その余の事実は不知。

(二) 被告会社は、昭和二二年制定以来一度の改正も行なわず、従業員に周知することすら怠つていた旧就業規則を何らの合理的根拠もなくこれを変更すると称して、昭和三七年六月三〇日突如として改正案を提示した。そして、組合の強い要求にも拘らず組合との団体交渉を一回も行なわないまま同年八月一日一方的にその制定を強行した。

右の点について被告は、新労働協約の締結(昭和三七年二月二二日成立)に伴ない就業規則改正の必要が生じたと主張するが、従来から被告会社においては職務規律等に関しそのつど労働協約その他労使間の覚え書きで決定していたため会社業務は円滑に行なわれていたのであるから特に差し迫つた改正の必要性は少しも存在しなかつたのである。しかも、新労働協約は暫定協定であり、労使間で未協定部分は後日交渉のうえ成文化することを確認して発効したもので、直ちに変更、改定がなしうる状態にあつたのであるから、右暫定協約を根拠に新就業規則の制定をはかる理由にも乏しい。また、被告は新就業規則の原案は提示より一年以前に出来上つていたとも主張するが、就業規則改正の意向は会社側から組合に対して一度も明らかにされていないのであり、右の如く旧就業規則のもとにおいて会社業務に何ら支障は生じていなかつたのであるからこじつけといわざるを得ない。

ところで、新就業規則は従前の会社内における労働条件、職場慣行を一挙に否定し、職場規律強化の名目のもとに従業員のプライヴアシーに至るまで規制をはかる等人権侵害的条項が多数存在する。例えば、携帯品の取扱いに関する新就業規則四四条は、所持品検査、身体検査を会社側の一方的判断により行ないうることとしており、被告会社のこれまでにおける組合敵視の態度からみて、これが組合活動の制限に向けられるようなおそれも大きい。のみならず、右規定は警察官職務執行法上警察官にすら与えられていない権限を会社側職員に付与しているもので、基本的人権を侵害することも甚だしい。また、「業務遂行上支障のある者」は入場拒否或は退場を命ずる旨規定する四三条六項も組合活動の制限に口実を与えることが可能である。さらに、離席、面会、外出の禁止、届出制を規定する二四、二五、二六条はその運用如何によつては便所や食事へ行くにも許可制、休憩時間中に他の職場へ入ることも不可ということになりかねない。新聞労働者、とくに記者、編集局員等は勤務条件が単純労働者のそれとは非常に異なる面が多いが、それは知的労働者、ジヤーナリストとしての特別な職業的必要に基づくものであり、こうした特別な環境が保障されることにより始めて良い記事を書くことができるし、真実の報道も保障されるのである。したがつて、右職場にある者にとつて右各規定が刑務所や兵営に等しい状態と感じられるのも無理からぬものがある。

また、懲戒規定も著しく拡大された。旧就業規則では、懲戒は説諭、譴責、減給、諭旨および解職の五種として、後三者については労使同数の委員から成る経営協議会の議を経て行なうものとされていたが、新就業規則では懲戒の種類が七種に増加し、管理職のみをもつて構成する賞罰委員会の具申に基づき行なうものとされ、会社側の意により随時処分ができるよう改悪されたのである。

近年、労働組合弾圧を企図する経営者の攻撃手順は、いわゆる「施設管理権」を強調して必ず就業規則の改悪を手始めに行なわれるのが常である。そして、労働者の間ではこれらの締めつけの就業規則を当時問題となつていた政治的暴力行為防止法(政暴法)にちなんで本件ビラにある如く「職場の政暴法」と呼ばれるのが常であつた。要するに、新就業規則は憲法で保障された基本的人権を認めず、新聞労働者の既得権を剥奪し、組合活動を禁止、制限する危険性を秘めるもので、「フアツシヨ的な就業規則」と評する以外になく、過去において不当労働行為を積み重ねてきた被告会社がこれを全面的に運用するならば、職場はまさしく「兵営や刑務所」のような雰囲気となるであろう。

かくして、本件ビラの右記載は、本件ビラに先立ち組合が就業規則改悪につき一般市民宛配布した七月二三日付ビラに引き続き、新聞労働者が右の如き弾圧的就業規則によりがんじ搦めとなつているような状態では到底真実の報道を守る良い新聞は製作できないことを訴えたのである。

七、(一) 第四の三、(三)のうち、第二組合たる山陽新聞第一労働組合が、本件ビラに対する反対宣伝のビラを一般市民宛配布したことを認め、本件ビラが配布されたことにより多数の購読中止が出たとの点は否認する。その余の事実は不知。

(二) 本件ビラ配布により山陽新聞の購読中止が増加した事実はない。購読中止は年間を通じて常に存するが、それを本件ビラの配布およびその内容と直接結びつけることには何ら合理的根拠もない。仮に昭和三七年秋以降多少購読中止が増加したとしても、それは前記の如く百万都市問題に関する山陽新聞の偏向した報道に愛想をつかした読者が購読中止に踏み切つた事例も多数存在するのであり、さらに同年一一月に新聞代が三九〇円から四五〇円に値上げされたことも関連している(新聞代値上げ後減少した購読部数が値上げ以前の部数に復するには約六カ月要するというのが新聞界の常識となつている)。しかも、本件ビラ配布後開かれた生産協議会において、会社側は組合の質問に対し部数の減少という現象は起つていない旨回答しているのである。

なお、第二組合が本件ビラに対する反対宣伝のビラを一般市民に配布したのは、同組合幹部らが被告会社の意を受けて行なつたものに他ならない。従前から第二組合は、組合の執行委員らについて、「組合費を横領した」とか「執行部はアカだ」とか「企業倒産を狙つている」などのあらゆるデマ、中傷、誹謗を記載した組合ニユース、職場ニユース等を発行し続けていたが、右ビラはその一例に過ぎない。これら第二組合の発行する文書の内容は、これまで同一会社内で長い間一諸に働いてきた仲間が書いたものとは信じ難いような愚劣、卑俗きわまりないものであり、むしろこれら文書こそ被告会社の名誉と信用を失墜させているというべきである。

八、(一) 第四の三、(四)のうち、本件ビラの作成配布に至る経緯および本件ビラ配布に先立ち組合が七月二三日一般市民に対しビラを配布し、被告会社より抗議を受けたこと、本件解雇(懲戒解雇)が被告主張の理由によりなされたことを認め、その余は争う。

(二) 本件ビラの記載内容は、前記の如く(第五の二、ないし同七)すべて具体的、客観的根拠を有し、真実に合致するものであるから、後記の如く原告らが被告主張の懲戒規定に該当しないことは明白である。

九、本件解雇の無効理由

(一)  解雇承認約款違反

本件解雇当時原告らが組合の執行委員長、副執行委員長、書記長、副書記長等のいわゆる組合四役であつたことは前記のとおりであるが、組合と被告会社との間に昭和三七年二月二二日締結され、本件解雇当時有効であつた労働協約中の「組合役員の人事」の条項には、組合四役等に関する人事はあらかじめ組合の承認を得なければならない旨定められている。しかるに、本件解雇が右条項にいう人事に該当することは明白であるにも拘らず、被告会社は本件解雇につき組合の承認を得る手続を経ることなく一方的にこれを行なつたから、本件解雇は労働協約所定の右解雇承認約款に違反するものであり、無効である。

右条項付属覚書には、「この条にいう人事とは、昇給、昇格および組合活動を理由としない解雇、賞罰、休退職は含まない」と限定されている。懲戒解雇たる本件解雇も右覚書にいう「解雇」に該当すると解すべきであるが、仮に懲戒解雇が次の「賞罰」に含まれるとしても、右の「組合活動を理由としない」なる修飾は解雇にのみかかるものではなく、賞罰にもかかるものと解すべきである。けだし、「および」なる接続詞はいくつかの語を並列して記載する場合に最後の語の前に付するのが通常の用法であるところ、右条項の「および」は「組合活動を理由としない」の前に置かれ、「昇給」「昇格」および「組合活動を理由としない解雇、賞罰、休退職」の三グループに分類されている文理上からも、また右労働協約締結交渉の際会社側より昇給、昇格の如く本人に何ら不利益のないものや破廉恥罪、病気休職の如く組合活動と全く無関係な事実による場合は承認の対象から除外すべきであるとの申し入れを組合も受け入れた結果右付属覚書作成に至つた経緯からも明らかなところだからである。そして、本件ビラ配布が組合活動であることは、被告会社自からビラの作成配布が組合により企画実行され、組合名義で発行されたから原告らの幹部責任を問う旨主張しているところからも疑問の余地はない。

なお、被告は本件解雇については組合の承認が期待し得ないことが明らかであつたので承認を得ないままこれを行なつたとしても労働協約違反とはならない旨主張するが、本件においては被告会社は組合に対して承認を得るための協議さえ申し入れていないのである。右解雇承認約款は、被告会社の不当配転などの支配介入に苦しんできた組合が長期間にわたる忍耐と犠牲をかけて努力した結果漸く獲得した極めて重要な条項であり、それは右約款が通常よく見られる「協議」ではなく「承認」とされている点にも端的に示されている。したがつて、被告会社の勝手な予想のみに基づき、到底協約所定の手続きを省略することが許されるものではない。原告らが賞罰委員会へ出頭することを拒んだのは、本件解雇は前記の如く組合活動が対象となつており、従業員の個人的問題とは性質を異にし、本来団交事項であるとの前提に立つていたからに過ぎない。組合が右条項に基づく協議を拒否した事実はなく、かえつてその協議申し入れを行なつていたのである。後記の如く被告会社は以前から多くの不当労働行為を強行し、組合敵視の労務対策を展開してきたが右協約無視はそれを証明する一事例といえる。

(二)  不当労働行為

1 正当な組合活動としての本件ビラ配布

(1) 本件ビラ配布の趣旨

本件ビラは、前記の如く当時岡山県が提唱し強力に推し進めていた岡山県南地区三三市町村大合併計画(百万都市)に組合として反対するとともに、被告会社が就業規則の改悪等真実の報道を守り良い紙面作成の条件を失わしめつつ百万都市推進に狂奔している事実を訴えることにより、職場内の諸要求と市民、読者の「知る権利」の要求とを結びつけて支援を求めた点にその目的がある。そして、これは組合の加盟していた日本新聞労働組合連合(新聞労連)が「新聞を国民のものに」なるスローガンのもとに展開していた「真実の報道」を守る運動の一環でもあつた。新聞労働者は、かつて「一夜明ければ真珠湾」「大本営発表」式の紙面を通じて、国民から真実を覆い、いまわしい戦争に国民を思想動員していつた苦い経験を有している。戦後の新聞労働者の労働運動もこのことに対する深刻な反省から出発した。一般に政治の反動化が進行する過程では、必ず言論の自由が抑圧され、新聞の反動化が行なわれる反面、進歩的、良心的な新聞労働者や言論人への弾圧が常に平行して進められる。このような歴史的経験から、新聞労働者は言論の自由を守り、真実の報道を守ることが政治の反動化を防ぎ、平和を守り、新聞労働者の生活と権利を守ることと密接につながつていることを教訓としてつかんでいるのである。

ところで、いわゆる百万都市計画とは、昭和三七年二月当時の三木岡山県知事によつて提唱された「岡山県南広域都市」の建設をいい、翌昭和三八年一月岡山県南地区関係三三市町村の合併を目標として推進された計画であるが、右計画によれば岡山県の面積の二一%(香川県の面積にほぼ匹敵)の地域にある岡山市と倉敷市を中心に七市二〇町六村(その合計人口約九〇万人)を同時に合併し、昭和四五年までに総額七、八四〇億を投じて水島臨海工業基地を中心に産業基盤を整備してあわせて各種社会開発を行なうという、わが国ではもちろん世界にも余り類例を見ない大規模なものであつた。しかし、右計画は、要するに地方進出をはかる重工業、とくに鉄鋼、電力、石油化学等大企業のための産業基盤整備が主眼とされており、地域住民のための生活基盤整備は等閑に付されていた。その一例として、県の計画によれば大合併後の新市の公共投資負担分は約七〇〇億円と見込まれていたが、右金額は昭和三六年当時の三三市町村の税収と地方交付税収入総合計額の十数倍に達する巨額なものであり、このような財政支出は必然的に地域住民の負担を増大させ、サービス行政を低下させることは必至である。このように税負担の増加、生活基盤に対する脅威、公害の発生等地域住民には多くの不利益をもたらし、大阪市の七倍にも達する行政区画の拡大は地方自治体の機能を減じ、中央集権的なものに転化して地方自治が大きく後退ないしは破壊される危険があつたゝめ、多くの市民や労働者は右計画に対して大々的に反対運動を展開した。三木知事は右計画を発表後、「水島は金の卵」であり、これを包んで太陽と緑と空間の理想的な大都市を建設すると称して事務当局をして大々的な推進運動を展開させたが、その合併推進の態度は極めて一方的かつ高圧的であり、昭和三八年一月の合併時期を目指しての性急な手続のみが強引に進められ、合併の利害得失が住民に十分明らかにされなかつたため、早くから右計画の本質を見抜いて反対運動に立ち上つた市民、労働者以外の住民の間にも次第に大合併に対する疑問や不安が増大していつた。右計画発表直後、岡山、倉敷両市長は相次いで大合併は時期早尚と意見を表明し、また革新政党、民主団体、労働組合等も百万都市計画に対する疑問から調査活動を進め、右計画に反対する態度を強めていつた。さらに反対運動の共闘組織として百万都市対策倉敷市民会議、百万都市対策連絡会議、玉野市政を明るくする会、西大寺市々民共闘会議、百万都市岡山市民会議等が次々と発足し、昭和三七年一一月にはこれらを総結集して百万都市一月合併阻止岡山県民会議に発展したが、反対運動は決議、声明、アピール、リコール署名、請願署名、街頭署名、街頭宣伝、議会への陳情、傍聴など多彩な形態で行なわれた。このような反対運動の高まりのなかで、岡山、倉敷両市長もはつきりと合併反対の態度を打ちだし、県に対する合併申請書の提出を拒んだため時間切れとなり、遂に右大合併計画は流産するに至つたのである。本件ビラは、このような合併反対運動が最高潮を迎えようとし、また県の態度が一層強硬かつ高圧的となり、合併の眼といわれていた岡山、倉敷両市議会において合併推進決議が審議されようとする緊迫した情勢下に配布されたのであるが、一方被告会社内においても当時は第二組合の分裂誕生、第二組合を使つての会社の組織切り崩し工作、弾圧を目指す就業規則の改悪等が相い次ぎ、労使関係は非常に緊迫した状態にあつたのである。

(2) 本件ビラ配布活動の正当性

ビラ配布活動は労働組合の教宣活動の中心ともいえる重要なものであるが、それには組合内部つまり組合員向けのものもあれば、本件ビラの如く外部つまり他企業の労働者や地域の市民に支援を訴えたり共同闘争を呼びかけたりするものもある。とくに、わが国の労働組合はその殆んどが企業別組合として組織されているため使用者からの支配介入を受けやすい弱点を有しており、この弱点を克服する立場からも企業の枠をこえて横断的、連帯的労働組合運動へ発展する可能性を秘める後者の部類に属するビラ配布活動は一層重要性を増しつつある。右のことは、さらにビラの記載内容が政治的課題を含んでいる場合とも関連する。例えば、合理化一つを採り上げてみても、労働者の地位、生活上の地位の向上、経済上の地位の向上という問題は国の政治と密接に結びついており、使用者との団体交渉を通じてのみ確保できる場合は今日においては相当限定されてきている。労働組合の文書活動は、右のような意味からも必ずしも一企業内部の問題にとらわれず、広く日本経済全体の関係とか合理化の方法一般に触れざるを得ない必然性が存する。本件における百万都市問題も地域住民に直接影響する財政、経済問題としての性格を濃厚に有しているのであるから、右問題について労働組合が文書活動をもつて賛否の方針を明らかにすることは何ら非難すべき筋合のものではない。

本件ビラの記載内容がすべて具体的根拠のある真実に合致するものであることは前記のとおりであるが、その個々の文書、表現を判断するに際しても、ビラが訴えようとしている全体の趣旨を、被告会社の合理化推進、後記組合弾圧の実態、さらには当時の百万都市問題をめぐる地域の情勢を含めて総合的、客観的に汲みとる必要があり、このような観点からすれば本件ビラ配布が組合活動として正当であることは明らかである。

2 過去における被告会社の不当労働行為の実情

被告会社は、過去一〇数年来組合に対してこれを嫌悪し、一貫して組合組織の弱体化を意図してきた。すなわち、組合がまだ御用組合的性格を抜け切れないでいた昭和三〇年頃までは露骨な介入でこれを抑圧し、その後組合が次第に成長しストライキを闘うまでの自主的な組織になるやスパイ攻撃や切り崩しをもつて丸抱えをはかつた。そしてストライキ後は、つとにその報復を狙い、組合に分裂を持ち込み、組合に所属する組合員に対しては思想攻撃、不当配転、不当懲戒処分、経済的、身分的差別などあらゆる攻撃を繰り返し、組合の組織破壊工作に狂奔した(その詳細な内容については、別紙(八)「会社の不当労働行為の実情」記載のとおりである)。このような歴史的な不当労働行為の中で、これを一つ一つ克服し、劣悪な労働条件と無権利状態を改善しようとする組合のねばり強い闘いに対して、たまたま発生した本件ビラ配布問題を口実として、遂に被告会社は組合の闘争の中心的存在であつた原告らを企業外へ排除することにより組合に決定的な打撃を与えようとしたのである。

3 以上のとおり、原告らに対する本件解雇は被告会社が積み重ねてきた数々の組織破壊工作の総仕上げともいえるものであり、これは組合を弱体化すべく行なつた支配介入であると同時に、労働者の正当な組合活動に対する不利益取扱であるから不当労働行為として無効である。

(三)  就業規則における懲戒基準条項の無効

原告らに対する本件解雇に際して被告会社が適用した就業規則一〇〇条は、「従業員が次の各号の一に該当する場合は懲戒する」と規定するのみで、懲戒の種類および程度のみを定めた同規則九九条の規定に委ねている。すなわち、就業規則には従業員の地位に最も重要な関係を有する懲戒解雇の基準が定められておらず極めて包括的、恣意的な規定のしかたであり、法律上その効力に疑問が存する。

仮に有効であるとしても、組合と被告会社間に昭和三一年四月締結された旧労働協約二八条(昭和三七年二月新労働協約が締結されたが、右各条項は現在においても有効である)は懲戒解雇基準を同条一号ないし六号により限定しているところ、被告会社の適用した就業規則一〇〇条五号の規定事由はこれに優先する右労働協約二八条の規定に含まれていないから同条項の適用はできない。

(四)  就業規則該当事由不存在または就業規則適用の誤り

本件ビラの記載内容がすべて真実に合致するものであることおよび本件ビラの配布が正当な組合活動であることは前記のとおりであるから、被告会社の名誉信用を棄損したことにはならず、また業務に支障を与えた事実がなかつたことも前記のとおりであるから、いずれにしても原告らは被告主張の就業規則懲戒事由に該当しない。仮に該当するとしても、極刑たる懲戒解雇を採用したことは裁量の範囲を越えた無効なものというべきである。

第六、第五の九(解雇無効の主張)に対する認否と反論

一、(一) 第五の九、(一)のうち、昭和三七年二月二二日被告会社と組合との間に締結成立した労働協約中に原告ら主張のとおりの条項および付属覚書が存することならびに本件解雇について組合の承認を得ていないことを認め、その余を争う。

(二)(1) 前記協約条項にいう「人事」には懲戒解雇は含まれないから、本件解雇は組合の承認を得る手続を要しない。

右条項にいう「人事」は人事異動(配転)の意味である。前記労働協約中に「組合役員の人事」としてとくに右条項が設けられたのは、協約締結交渉の過程において組合側から組合四役、執行委員、青年婦人部長等の「異動」について組合の事前の承諾を要する旨規定するよう強力に主張されたことに由来する。労働協約の締結交渉は難行したため岡山県地方労働委員会の斡旋にかけられ、地労委は「組合四役、執行委員に関する人事はあらかじめ組合の承認を得ること」とする斡旋案を提示したが、右地労委における事情聴取の過程においても「人事」とは異動の意味であることを地労委、労使の三者とも念頭に置いていたのである。組合自身、「人事」を異動の意味に解していたことは、斡旋案が提示された直後組合員宛配布された組合ニユースに同趣旨の解説記事を掲載していることからも明白である。その後、右斡旋案を基礎にして労使の自主交渉に入つたが、その過程において被告会社は労働協約人事条項中の基本的条項たる「会社は雇入れ、異動、解雇、休退職、賞罰、昇給、昇格等その他一切の人事権を有する」旨の規定との対比上、斡旋案の「組合四役、執行委員の人事」とあるのが異動以外の昇給、昇格、解雇、賞罰、休退職を含まないことを明確にすることを主張し、組合もこれを諒承した結果前記付属覚書が取り交わされたものである。いやしくも中立的機関たる労働委員会が昇給、昇格、休退職、賞罰、解雇、異動等一切を含む意味での非常識な前記斡旋案を提示する筈はなく、万一そうであつたとするならば組合が右付属覚書を取り交わすことに同意するのは組合側にとり極めて大きな譲歩をすることになるのであるから不可解というほかない。

(2) 右付属覚書にある「組合活動を理由としない」との修飾語は、正当な組合活動をした者がこれを理由として解雇されることのないよう保障を設けるべきであるとの組合の要求により、とくに「解雇」についてのみ冠する趣旨から挿入されたものであり、「賞罰、休退職」まで限定するものではない。原告らは、右修飾語は賞罰、休退職にもかかると主張するが、仮にそうであるとすれば賞罰の賞、休退職についてまでこれがかかるのは論理上も不合理であるから、形容上然るべき配慮が当然なされなければならない筈である。そして、解雇と懲戒解雇とは概念上明らかに区別されるものであり、懲戒の一種たる懲戒解雇が右付属覚書にいう「賞罰」の罰にあたることは疑問の余地がなく、結局本件解雇は右付属覚書により前記解雇承認約款の適用を免れる場合に含まれることとなる。

(3) 本件解雇は、後記の如く原告らの組合活動を理由としてなされたものではなく、仮に組合活動を理由とするものであつてもそれは正当な組合活動を理由としてなされたものでもないから、同様に前記解雇承認約款の適用を除外される。なお、右付属覚書には単に「組合活動を理由としない」とのみ記載されているが、これは覚書作成の際組合活動という以上正当な組合活動を意味するのは当然であるとの組合側の主張により「正当な」との修飾を削除したに過ぎない。

(4) 仮に本件解雇があらかじめ組合の承認を要するものであるとしても、本件においては組合の承認を全く期待し得ないことが当初から明白であつたから、このような場合承認を得ることなく解雇したとしても解雇承認約款に違反するものとはいえない。

本件解雇を決定するにあたり、被告会社は賞罰委員会に付議して多数の関係者より事情聴取を行なう等詳細な調査をすると共に、原告らに対して釈明の機会を与えるため同委員会への出頭を求めたが原告らはいずれもこれに応ぜず、組合も組合機関の決定により出頭要求に応じない旨通告してきた。当時の組合の主張とするところは、正当な組合活動に対して就業規則を適用するのは不当であるとの点にあり、被告会社が本件ビラ配布問題に関して組合と行なつた団体交渉においても終始同様の主張を堅持して譲らなかつた。そして、組合が地労委に斡旋を申請した内容も「ビラ配布問題の責任を会社の賞罰委員会で審理することの紛議について」というものであり、解雇自体に関する斡旋申請ではなかつたため地労委も第一回斡旋において労使双方から簡単に事情を聴いたのみで、その後間もなく斡旋を打ち切つた。斡旋打ち切り後の団体交渉においても組合は従前の主張を繰り返し、会社があくまで賞罰委員会での手続を進めるならば重大な紛議の発生する余地もあるとの威嚇的態度に出たため団交は決裂するに至つた。右の如き組合の態度は、会社側が本件ビラ配布問題に関する処分は一切行なわない旨言明しない限り、一切の話し合いに応じないというのと異なるところはない。このような状況のもとで、被告会社が組合に対して本件解雇の承認を求めるための手続をとつたとしても、果して交渉に応じるか否かさえその可能性はゼロに等しく、万一交渉に応じたとしても承認を与える可能性もまた絶無であることは極めて明白である。組合の協議ないし承認を到底期待し得ないような特殊事情の存する場合にも、なお前記約款の適用があると解することは著しく不合理である。

二、(一) 第五の九、(二)のうち、岡山県南地区三三市町村合併計画が昭和三八年一月の合併予定時期に時間切れとなり流産するに至つたことおよび昭和三七年二月組合が分裂して新たに山陽新聞第一労働組合が結成されたことを認め、その余を争う。

(二) 本件ビラが配布されるに至つた経緯については前記のとおりであるが、当時は県南地区三三市町村大合併計画に対する反対運動の最も熾烈であつた時期なのであり、右反対運動の中においても急先鋒労働組合としての役割を担つていた組合が本件ビラ冒頭の見出しに「百万都市一月合併に反対しよう」と記載されているように大合併反対の政治運動を唯一無二の目的として本件ビラの配布を行なつたものであるから、原告らの行為も労組法七条の保護を受くべき組合活動にはあたらない。

仮に本件ビラ配布行為が組合活動にあたるとしても本件解雇は前記の如く原告らの企画、決定、実行した本件ビラ配布行為が就業規則所定の、会社の名誉または信用を著しく失墜させると共に会社業務に著しい支障を来たさしめた場合に該当することの故をもつてなされたものであり、原告らに対する不利益取扱意思ないし組合に対する支配介入意図はもちろんその余の意図は全く存しない。

原告らは遠く昭和三〇年頃からの組合史を述べ、その間になされた配転等様々な出来事をことごとく不当労働行為に仕立てることにより、あたかも被告会社が十数年来原告らの企業外排除を狙つていたかの如く主張するが、もし被告会社にかねてから原告らをその組合活動の故をもつて排除しようとする意思があつたならば、本件ビラに先立ち七月二三日配布された前記会社誹謗ビラの配布は好個の機会であつた筈である。同種ビラたる本件ビラがその約一カ月半後に再度配布されることは当時予想だにされなかつたからである。しかるに、被告会社は右ビラ配布に対しては組合宛厳重抗議を申し入れたに過ぎない。いずれにしても、本件解雇に不当労働行為の成立する余地は全くない。なお、原告らが本件において不当労働行為として主張している配転等の事例中いくつかは組合側より地労委に対して救済申立がなされたが、そのうち二、三の事例については申立理由なしとして棄却ないし却下の命令が出ており、未だ救済命令が発せられた事例はなく、また本件仮処分に関する第一審(当庁昭和三七年(ヨ)第二六二号)および第二審(広島高裁岡山支部昭和三九年(ネ)第一〇号)判決のいずれもが不当労働行為の主張は採用しなかつたのである。

三、(一) 第五の九、(三)のうち、就業規則、旧労働協約中に原告主張のとおり規定が存することを認め、その余を争う。

(二) 会社の名誉、信用を失墜させることが会社に損害を与えるものであることは理の当然であり、これは旧労働協約二八条四号に該当し、さらに会社に損害を与え、業務に支障を来たしたとの懲戒事由については右協約に同旨の規定が存する。

就業規則一〇〇条は懲戒事由を列挙し、その情状に応じて九九条所定の七種類の懲戒のうち相当な制裁を選択してこれを行なう趣旨であることは明文の規定がなくても条理上当然であり、包括的規定であるとの一事をもつてその効力に疑問の余地ありとする原告らの主張は理由がない。

四、(一) 第五の九、(四)の事実は否認する。

(二) 原告らの本件ビラ配布行為が就業規則所定の懲戒事由に該当し、その情状も極めて重いことは前記のとおりである。

第七、証拠<省略>

理由

第一、争いのない事実

被告会社は肩書地に本社を置き、日刊新聞の発行を主要業務としている株式会社であり、原告らはそれぞれ請求原因二、記載の時期に被告会社へ入社したこと、被告会社は昭和三七年一一月一二日付で原告らの企画、決定、実行になる本件ビラ配布行為が就業規則所定の「会社の名誉または信用を著しく失墜させ」ると共に「業務に著しい支障を来たさしめた」場合に該当するとして原告らを懲戒解雇した(本件解雇)が、当時原告らはいずれも被告会社従業員で組織する組合の組合員であると同時に、それぞれ請求原因三、記載のとおり組合の正、副委員長、正、副書記長等のいわゆる組合四役であつたことはいずれも当事者間に争いがない。

第二、本件解雇の効力

一、労働協約の人事条項違反について

(一)  被告会社と組合との間で昭和三七年二月二二日締結され同日発効した労働協約中、「組合役員の人事」と題する条項に「組合四役、執行委員、青婦部長に関する人事はあらかじめ組合の承認を得るものとする。」と定められており、同条項付属覚書には、「この条にいう人事とは昇給、昇格および組合活動を理由としない解雇、賞罰、休退職はふくまない。」と記載されていることは当事者間に争いがない。

(二)  本件ビラの記載内容が別紙(七)記載のとおりであることは当事者間に争いがなく、これを見ると、本件ビラはその見出しにあるように、被告会社に対する真実の報道の要求および百万都市一月合併反対の二つのテーマを中心に据え、右両テーマは合併支持の立場をとる被告会社が合併問題に関して虚偽ないし偏向の報道をなしていることを訴える点において結びつき、これから派生する問題点として合併計画を強力に推進している県政への追随、良心的記者の不当配転、読者に対するサービス低下、就業規則の改悪による労務管理の強化等を読者市民へ訴えると共にその支援を求めたものであることが明らかである。本件ビラの作成、配布に関する企画、立案が組合の中央委員会および執行委員会で行なわれたことならびに本件ビラ配布に先立ち組合が昭和三七年七月二三日同種ビラを配布したことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一〇六号証とこれにより真正な成立を認める甲第七〇号証、成立に争いのない甲第九九、一〇二号証によれば、組合は被告会社の就業規則改悪を訴えて配布した前記ビラに対する読者、市民の反響が予想外に高く、組合宛激励やカンパ等も多数寄せられたため原告らを含む執行部では引き続きビラ配布を行なうことの検討がなされたが、その過程において今度は単に自己の組合の内部問題だけを訴えるのではなく、より広い視野から市民、読者との積極的な共闘を呼びかける趣旨を盛りこむべきであるとの意見も出され、それには当時県民の強い関心を集めていた百万都市問題が好個の対象であるので、右問題に被告会社の発行する山陽新聞の偏向報道等の実態を結びつけ構成するのが効果的であるとの判断から、前記内容の本件ビラが作成されるに至つたことが認められる。

ところで、労働組合は組合員の啓蒙、組合意思の形成、組合員相互の意思疎通、執行部の決定方針伝達等労働者の労働条件を維持改善する目的を達成するための情報宣伝活動を行なう自由を有していることはもちろんであるが、わが国労働組合に一般的な企業別組合としての閉鎖性およびこれより派生する交渉力の弱さを補うため組織外の労働者或は一般市民に対して支援を呼びかける対外的情宣活動をなすことも許されるものというべきである。そして、本件ビラを見ると、その中には百万都市一月合併に反対する組合の政治的主張も述べられていることは明らかであるが、それ以外にも記者の原稿書き直し、記者の配転問題、就業規則等労働条件に直接関連する諸問題も取り上げられているばかりでなく、右百万都市問題に関する記載もつきつめれば、会社の経営、編集方針を批判することにより真実の報道を守る新聞を製作するとの目的に結びつくものであり、これは新聞製作に従事する労働者にとつて広い意味における職業的利益ともいいうる余地が存するから、本件ビラ配布は組合活動の範囲に属するものと解すべきである。

(三)  被告は、労働協約の前記条項にいう「人事」とは「異動(配転)」の意味であり、かつそれ以外の意味は含まれていないから、懲戒解雇たる本件解雇に右条項の適用はない旨主張するが、人事なる概念は通常、成立に争いのない甲第二号証、乙第九〇号証(労働協約)に記載されている如く「雇入れ、異動、解雇、休退職、賞罰、昇給、昇格」等一切をその外延に包括するものであり、その内包として被告主張の人事異動ないし配置転換のみに限定する用法は極めて特異かつ不自然なものといわなければならない。しかも、前記付属覚書が会社側の提案でとくに作成されたことは当事者間に争いがなく、被告は元来右覚書は協約条項中の「人事」を異動の意味に限定する趣旨を明確にするため設けられた旨主張するが、覚書の文言自体からも右主張を裏付ける根拠を見出すことはできない(「人事」を異動に限定する趣旨であれば、協約条項中の人事なる用語そのものを異動ないし配転と変更するか、或は付属覚書の内容も前記の如く晦渋な表現をとる必要はなく、例えば「この条にいう人事には異動(配転)以外のものは含まれない」とか「この条の人事とは異動をいう」等より直截に表現する余地があつた筈である。)。

もつとも、甲第一〇二号証、成立に争いのない甲第二四、九〇号証、乙第八五ないし第八七号証、原告則武本人尋問の結果によれば、組合は、従来から組合青年婦人部長がその在任中に本社から支社局へ配転となる事例がひんぱんに起り、そのため組合の活動に支障を来たすことも少なくなかつたためその対策に苦慮していたが、たまたま昭和三六年七月発生したベースアツプをめぐる争議の際青年婦人部長ほか組合役員等の配転につき組合の関与を認める制度的保障の実現を会社宛要求し、争議妥結の際「組合執行委員の人事異動はこんご組合四役に準じて行なう」旨の覚書を会社側との間に取り交わすことに成功し、さらに労働協約締結に関する岡山県地方労働委員会の斡旋を経て(地労委の示した斡旋案は「組合四役、執行委員に関する人事は予め組合の承認を得ること。」というものであつたが、右斡旋案の内容を組合員に周知させるため組合が発行した組合ニュースの解説記事中には「組合役員の異動についての承認事項」との記載がみられる。)、その後労使双方の自主交渉により漸く前記条項の成文化をみるに至つたことが認められる。右事実からすると、組合自身も右条項にいう「人事」を異動の趣旨に理解していたのではないかを窺わせる余地がないとはいえないが、組合としては当面の問題となつていた組合役員の配転命令に対する制約として組合員に説明したにとどまり、それ以上重要な問題である組合役員に対する解雇権の制約を協約で確保する意図がなかつたとまでいうことはできない。そして、甲第二号証、乙第九〇号証によれば、労働協約中「人事」なる用語は「人事権」の条項において前記の如く雇入れ以下昇格に至るまで包括的な意味に使用されており、一方「異動」の条項においては「異動」の用語が「人事」の下位概念として明確に区別されて使用されていることが認められるのであり、一般に労働協約も労使間の契約の一種であるから、その中の用語の解釈につき当事者間に争いがある以上、これを客観的、外形的に判断せざるを得ず、付属覚書の前記記載内容とも合せ考えれば、未だ被告の主張は根拠に乏しいものといわざるを得ない。

(四)  なお、成立に争いのない乙第六号証の一によれば、被告会社就業規則上懲戒解雇は懲戒(制裁)の一種として通常解雇とは明確に区別されていることが明らかであるから(就業規則九九条、六六条)、本件解雇は前記付属覚書にいう「解雇」ではなく「賞罰」にあたると解すべきことは被告主張のとおりであるが、「組合活動を理由としない」との修飾が文理に反して「賞罰」にはかからないとする合理的根拠は見出し難い。さらに、右覚書にいう「組合活動」とは正当な組合活動のみに限定されるとする被告の主張も、組合活動の正当、不当の評価に関する労使の見解が多くの場合真向から対立することは公知の事実であるから、使用者側の一方的判断にこれをかからしめ、前記協約条項の適用を免れうるとするのは右条項を事実上有名無実化するに等しいことに照しても理由がないものといわなければならない。

したがつて、本件解雇には前記協約条項の適用があると解すべきところ、本件解雇があらかじめ組合の承認を得ることなくなされたことは当事者間に争いがない。

(五)  被告は、本件解雇については当初より組合の承認を期待し得ない事情が存したのでこれを得なくとも前記協約条項違反とはならない旨主張する。原告らが、被告会社の方針により原告らの本件ビラ配布に関する懲戒問題を審理することとなつた賞罰委員会への出頭を、その要請があつたにも拘らず拒絶したことは当事者間に争いがない。甲第九〇、一〇二号証、成立に争いのない乙第八ないし第一三、第六四号証、証人松本純郎の証言、原告則武本人尋問の結果によれば、会社側は本件ビラ配布に関する懲戒問題が前記付属覚書により組合の承認を要しないとの前提をとつたため組合に対して承認を求める協議手続の申し入れも行なわれないまま取締役会の要請により当初からこれを賞罰委員会へ付議したが、一方組合側では本件ビラ配布が組合活動であるとの前提に立ち、会社が組合活動にあたらないとして承認の手続を経ることなく直ちに賞罰委員会でこの問題を取り上げるのは、とくに本件ビラ配布問題について地労委が斡旋中であることからも不当であるとして原告らを賞罰委員会へ出頭させない方針を決定したことが認められる。そして、本件解雇は組合四役全員に対する懲戒処分であり、これが行なわれた場合組合に与える影響は重大であるから被告会社としてもこれを慎重に処理すべきであつて、一回の協議申し入れすら行なわないまま単に前記見解の対立があつたことのみから直ちに前記条項の遵守を期待し難い事情があつたと解することはできない。

(六)  以上の検討によれば、本件解雇は前記協約条項に違反するものといわなければならない。

しかし、前記協約条項は、組合員全員に適用のあるいわゆる解雇承認(同意)約款ではなく、組合四役等の組合役員にその対象が限定されたものであるから、その趣旨は組合自体の有する団結ないしその活動を保障することにあり、個々の労働者の待遇に関する基準(労働組合法一六条)を定めた条項には属しないと解するのが相当である。したがつて、前記条項はいわゆる債務的効力を有するものとして、右条項違反に対して協約当事者たる組合より被告会社に対して損害賠償を請求しうることは別として、本件解雇自体の効力は右条項違反の故をもつて直ちに無効とはならないといわなければならない。

よつて、この点に関する原告らの主張は結局理由がない。

二、不当労働行為について

1  本件ビラ配布行為の正当性

(一) 本件ビラ配布と被告会社の名誉、信用等との関係

本件ビラの記載内容およびその趣旨とするところは前記(第二の一、(二))のとおりであるが、新聞報道事業を営む被告会社としては、不偏不党の立場から真実の報道を行なうことはその生命ともいうべきものであるから、単なる第三者ではなく、被告会社内で山陽新聞の製作に直接携つている従業員の組織する労働組合より右の点に欠けるところがあるとの指摘を受け、その旨のビラを読者、市民に対して配布されることは、他企業の場合以上に、会社の名誉、信用を傷つけられ、或はその業務に著しい支障を来たす可能性が大であると解しうる余地もないではない(もつとも、本件の場合後者の点については、成立に争いのない乙第五二、五四号証によれば、本件ビラ配布後の昭和三七年一〇月ないし一二月における山陽新聞の購読中止数は前年同時期に比して可成り増加したことが認められるが、その具体的な数字その他詳細な点はなお不明であるうえ、昭和三七年一一月に山陽新聞の購読料が三九〇円から四五〇円に値上げされたことは当事者間に争いがなく、さらに甲第一〇六号証によれば、本件ビラ配布後被告会社と組合との間で屡々開かれた団交もしくは生産協議会の席上で、会社側は購読中止が顕著に増加している事実を明らかにしたうえ組合側へ抗議する等の措置は別段とつていないことが認められるから、未だ右購読中止の増加が本件ビラ配布によるものであり、かつ被告会社の業務に著しい支障を来たさしめたと断定することは困難である)。

しかし、成立に争いのない甲第六三号証、乙第三一号証によれば、終戦直後全国の主要新聞社の参加により設立された日本新聞協会が新聞編集における指導精神として採択した「新聞倫理綱領」は、民主々義社会における新聞はその報道、評論につき何よりもまず完全な自由を有することを謳つているが(同綱領第一、)、右の自由も無制限なものではなく自ずから限界の存することを承認したうえ、客観的事実に基づく真実の報道、不偏不党の評論、公正、寛容等右限界としての主要な基準を示している(同綱領第二以下)ことが認められ、右新聞倫理綱領によるまでもなく、新聞は正確かつ客観的な情報の伝達およびこれに対する評論により一般市民に社会的行動の基準を与えることを本来の使命とするものであり、世論形成に指導的立場を発揮することも可能であるから、その社会的使命および事業内容は公共性の色彩を強く帯びるに至り、いわゆる社会の公器と称される所以も右の点にその根拠を見出すことができる。したがつて、新聞社の事業および編集方針は一般市民に対して直接、間接に少なくない影響を与えるものであるから、その企業内事情を暴露、批判されても、右行為は公益に関する行為として、それが真実に合致する限り、社会的に受忍すべき立場にあると解するのが相当である(刑法二三〇条の二、一項参照)。すなわち、いわゆる「新聞の自由」は、つねに新聞の責任を伴なうものといわなければならない。

そこで、前記の如く組合活動としてなされた本件ビラ配布行為の当否は、まず本件ビラの記載内容が真実に合致するものか否かにより決せられるべきこととなる。

(二) 本件ビラ記載内容の真実性

(1) 「山陽新聞の経営者は少々かなづかいがおかしくてもほつておけといつています。」「読者へのサービスが低下してもいたしかたないというのです。」「紙面もいいかげんでいいと経営者がいう(後略)」との記載について

右記載部分が、昭和三七年八月一七日開かれた被告会社編集局校閲部会における校閲部長吉井木正夫の行なつた校閲基準緩和に関する指示説明に関するものであること、右指示説明中に従来のモニター原稿との照合による校閲を廃し今後は原則として小ゲラ校閲に移行する旨述べた部分があつたことは当事者間に争いがない。

成立に争いのない甲第九五号証、証人寒竹哲生の証言とこれによりいずれも真正な成立を認める甲第七四、一一七号証、成立に争いのない乙第四七号証とこれによりいずれも真正な成立を認める乙第二一ないし二四号証、成立に争いのない乙第四八、六六号証、証人吉井木正夫、同石丸豊、同森隆志、同小松原文雄の各証言に前記争いのない事実を総合すると、次の事実を認めることができる。

被告会社においては経営の近代化を推進するため、昭和三七年七月社長以下全取締役、論説委員会主幹、各局長等をもつて構成する総合企画審議会が設置され、その具体策を検討するための専門委員会の一つとして設けられた漢テレ専問委員会に対して、「漢テレ」(漢字テレタイプの略称。漢字仮名混じりの日本文をさん孔テープに変えて有線、無線の電信回路により機械的に遠隔地へ送信し受信装置の巻紙上に原文どおり印字する通信機械設備で、全国各地方新聞社は昭和三五年頃より漢テレ方式によるニユース配信を受けていた)の総行数を上げ、機械化能率を増進するため編集、工務部門においてとるべき方策に関して諮問がなされたため、同委員会はこれを検討の結果昭和三七年八月一六日校閲基準を従来より緩和することを定めた。すなわち、従来は共同通信社から送信されてくる漢テレ原稿の用語スタイル中、被告会社が独自に定めていた用語スタイルに合致しないものは校閲部においていちいちチエツクし、これに従い活版部で活字の入れ替え(いわゆる赤字差し換え)を行ない、また右校閲に際しては共同通信社から写真電送により別途送られてくるモニター原稿(同通信社においてあらかじめ印字化したもの)と照合する取扱いがなされていたが、今後は被告会社独自の用語スタイルに拘泥せず共同通信社のそれに合わせて、例えば一つの単語を漢字と仮名で表記することを許容し、片仮名と平仮名による使い分けを廃止することとし、また共同通信社のパンチヤーは一般に技術が優秀で漢テレ原稿の正確性も高く、被告会社の漢テレ受信装置が正常に作動している限りモニター原稿との照合も無用に帰するのでこれを廃止し、小ゲラ(被告会社の受信装置により印字化された漢テレ原稿を記事ごとに組版した校正刷り)のみによつて校閲する、というのが同専門委員会の決定内容であり、これにより赤字差し換えを少なくすると同時に活版部における爾後の作業工程を簡素かつスピードアツプ化することが可能となるので前記諮問に応え得るとするのがその理由であつた。なお、同専門委員会において、送り仮名、音訓についても校閲基準の緩和が検討されたがまず手始めとして一応右スタイル(用語)基準の緩和のみを昭和三七年八月一八日より試験的に実施することとなつた。

吉井木校閲部長は、右専門委員会の決定があつた翌日の前記校閲部会において各部員に対して、スタイル基準緩和に関する右決定内容を伝えたが、その際同部長は、明日より共同通信社からくる漢テレ原稿は小ゲラのみによる校閲を行なうものとするが、明らかに誤りと認められる部分や数字および人名は従来どおりモニター原稿と照合すること、高松、広島支社等から送信されてくるヘル原稿(一種の文字電送通信であるが、送信装置が漢テレ方式のそれよりも旧式であつたため文字の不明瞭なものが多く、従前から校閲部員を悩ませていた)も今後は整理部、地方部において完全原稿の建前で出稿するから、文字の判然としないものがあつても整理部等へ照会する必要はなく放置して置けば良い、要するにこれまでは余り神経質に校閲をやり過ぎたので今後は成るべく活版部の差し換えの手間をはぶく方向で校閲をやつて貰いたい旨指示説明を加えた。ところで、右説明を聞いた校閲部員の中には、これまで吉井木部長自から先頭に立つて、統一した美しいスタイルによる読み易い紙面作成を奨励し、校閲部員も右目的の達成に部員としての誇りを抱きこれに協力してきただけに、突如として右目的を捨て去るかの如き印象を受けた結果スタイル基準の緩和は新聞紙面の質の低下を招くのではないか、或は校閲部における人員整理のためにスタイル基準緩和が導入されたのではないか等の率直な疑問を表明する者もあつたが、吉井木部長はこれに対して、スタイル基準緩和は第一線記者が完全原稿を充分習得するのをまつてなされるのが理想であり、その意味においては今回の如くこれを一挙に同時実施するのは確かに時期尚早の感があり、過渡的には紙面の用語が不揃いとなり読者に不親切になるかもしれないが、実施している間に漸次改善されてくるだろうから必らずしもサービスの低下には結びつかない、またスタイル基準の緩和により校閲部における人員削減が可能となるのは確かであるが、これは人員整理に結びつくものではなく、むしろ校閲部員から第一線の取材記者となり得る機会を早くすることができる旨答えた。

以上の事実が認められ、前記各証拠のうちこれに反する部分は採用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

他方、甲第九五、一一六号証、乙第四七号証によれば、モニター原稿と照合することをしない小ゲラ校閲の方法をとつた場合、(イ)いわゆる電信化け、モニター化け、キヤスター(鋳植機)化けと称する被告会社における漢テレ受信用各装置の故障もしくは不調により生じうる小ゲラ自体の誤り(ロ)刷り上つた小ゲラを校閲部へ送る際活版部において往々にして生ずる組版の一部脱落(ハ)予定原稿の時制に関する表現の訂正等を校閲部において発見し得ない危険性のあることが認められ、右認定に反する証拠はない。

以上の事実によれば、右校閲基準の緩和は過渡的ではあるが新聞紙面における用語スタイルの不統一を来たし、また前記(イ)、(ロ)、(ハ)の各事故に伴なう紙面の誤謬を生むことにもなるから、これを読者へのサービス低下になると組合が理解したのも一応の根拠はあるというべきである。もつとも、仮名づかいの点については、本件ビラ配布後である昭和三七年九月一七日開かれた第四回総合企画審議会において被告会社社長から、校閲基準の緩和はスタイル基準のみでなく送り仮名その他についても実施する必要がある旨提案されたことが乙第四七号証により真正な成立を認める乙第二二号証により認められるが、前記各証拠によつても前記校閲部会において吉井木部長が仮名づかいの緩和について言及したことは認められず、かえつて乙第四八号証、証人吉井木正夫の証言によれば、むしろ仮名づかいおよび送り仮名については従来どおりの基準に従う旨指示のなされたことが認められるから、本件ビラの前記各記載のうちかなづかい云々の点は、校閲部長の指示説明の誤解もしくは曲解に基づくものといわざるを得ず、この点に関する事実に合致しないものといわなければならない。しかし、右記載部分はサービス低下を例証するための一つの具体例として引き合いに出されているものであり、前記各記載全体に占める比重よりみると、必らずしも読者へのサービス低下になるとの前記判断を全面的に左右する程度には至らないものというべきである。

(2) 「百万都市推進の宣伝をくる日もくる日も気狂いのように続けています。」「独占本位の三木県政のご用をうけたまわる広報紙になりさがつている」との記載について

被告会社の発行する山陽新聞が、当時岡山県の提唱していた県南地区三三市町村大合併計画(いわゆる百万都市計画)に対してこれを支持する立場からいわゆるプレスキヤンペーンを展開していたことは当事者間に争いがない。

ところで、原告らは山陽新聞の百万都市計画に関する報道評論記事には顕著な偏向が認められ、その主たる根拠として同新聞の合併推進に関する記事は合併批判ないし反対に関する記事に比して圧倒的に多くのスペースがさかれていた旨主張し、甲第九九号証により真正な成立を認める甲第七六号証には同旨の記載がみられる。しかし、或る特定の新聞或は記事に関する「偏向」の概念は極めて不明確であるというほかなく、新聞紙面の量的分析のみによつてこれを判定しうるものではなく、さらに進んで質的分析も加えられなければならず、しかもこの両者の区別も必らずしも厳密とはいえないところ、甲第九九号証、成立に争いのない乙第五〇号証によつても原告らの主張する偏向を断定することは困難である。

もつとも、成立に争いのない甲第三四号証の一、二、第三五号証の一ないし四、第三六号証の一、二、第三七、九二、九四、一〇五号証、弁論の全趣旨により真正な成立を認める甲第四〇号証、成立に争いのない甲第一二四号証とこれによりいずれも真正な成立を認める甲第三一、三二号証、成立に争いのない甲第八九号証とこれにより真正な成立を認める甲第三九号証、成立に争いのない甲第一二五号証とこれにより真正な成立を認める甲第八三号証によれば、昭和三七年二月当時の三木岡山県知事より提唱された「岡山県南広域都市建設(いわゆる百万都市)計画」は、岡山県南地区にある七市二〇町六村を昭和三八年一月を期して同時合併させて人口九〇万に達する大都市を建設し、水島臨海工業基地を中心に産業基盤を整備すると共に各種社会開発を行なうという、これまでの市町村合併史上にも余り例を見ない大規模なものであつたが、右計画には広域都市建設に伴なう工業用地、住宅、用水、都市環境、文教厚生等の諸施設整備計画に必要とする莫大な事業費調達を地域住民の負担増大との関連において如何になすべきか、或は水島臨海工業地帯に発生が予想される亜硫酸ガスその他による大気汚染の処理を如何になすべきか等の問題点も存し、諸学者、有識者の中にもこれらの点につき批判を加える者も少なくなかつたこと、本件ビラ配布当時は百万都市計画に対する関係市町村住民の関心も漸く高まり、岡山、倉敷両市においては百万都市対策市民会議も結成され、一方岡山県労働組合総評議会を始め官公庁、民間の労働組合、革新政党、諸団体等の間では反対運動が強力に展開されていたことが認められ、山陽新聞が岡山県下最大の地方紙であることは当事者間に争いがないから、このような立場から同新聞が百万都市実現の場合における利点を強調してプレスキヤンペーンを展開することもさることながら、地方自治体の行なう工業基地開発行政と地域住民に対するサービス行政との関連についてもこれを究明し、その問題点の開示に努めることが、いわゆる国民の「知る権利」を実質的に担保する意味からも、より一層望ましいのは否み得ないところである。ところで、成立に争いのない乙第二〇号証の四、第二五号証の二、第二九号証によれば、昭和三七年六月岡山県当局より百万都市計画の基本構想を明らかにするためとして総頁数三百余頁に達する「岡山県南広域都市建設基本計画試案」(いわゆるマスタープラン)が公表された際、山陽新聞は同年六月一一日付社説でこれを取り上げ、県の示したマスタープランには財政資金計画の裏付けを欠くことを指摘批判し、同月一〇日付社会面解説記事中でも同様の指摘を行なつたことが認められるが、その後前記各問題点に対する追跡、検討が同紙上でなされた形跡は成立に争いのない乙第二五号証の三、四、五によつても窺うことができない。また、山陽新聞が当時の三木岡山県知事より特別の恩顧或は援助を受け、三木県政の御用紙をつとめていたことを認めるべき証拠はないが、甲第八九、九二、一二四号証、成立に争いのない甲第九七号証によれば、山陽新聞の百万都市計画に関する前記問題点の解明が不充分であるとの不満を抱く当時の読者の中には、同新聞は三木県政の御先棒をかついでいる、或は同県政の御用紙に堕している旨の批判も可成り広汎に行なわれていたことが認められる。

したがつて、右の如き一応の根拠に基づき組合が本件ビラにおいて前記各記載の如き非難を加えたことは、その表現の当否は別として、前記新聞報道事業が有する公共的性格およびこれに対する批判の自由の確保という見地からみて、単なる中傷として否定し去ることはできないものと考えられる。

(3) 「記者の書いた原稿をかきなおし、白を黒にしたウソの報道をした」との記載について

右記載が昭和三七年七月一六日開催された倉敷市議会県南広域都市調査研究特別委員会小委員会議事を取材した被告会社倉敷支社所属吉沢記者が本社宛送つた原稿と、右議事について翌日の山陽新聞朝刊に掲載された報道記事に関するものであることは当事者間に争いがない。

甲第七六号証によれば、吉沢記者が本社宛送つた原稿の内容は「同日の小委員会では合併をめぐる各委員の意見が出された。その意見では県の計画する七市二六町村の合併より、高梁川下流の四市あるいは三市を中心に新産都法の指定を受け合併に進むべきだとする意見を中心に、県の提唱には消極的な意見の方が多かつた。」というものであつたことが認められる。これに対して、成立に争いのない乙第一四号証の一によれば、右山陽新聞記事の内容は「広域都市」の横書き見出し(ゴシツク体一〇ポ活字)の下に「地域指定受ける(明朝体三〇ポ活字)倉敷市議会特別委(ゴシツク体一〇ポ活字)合併時期なお検討(明朝体二〇ポ活字)」の縦書き見出しを附し、記事本文は次のとおりであつたことが認められる。「倉敷市議会県南広域都市調査研究特別委員会は十六日小委員会を開き、これまでの調査結果をもとに<1>新産業都市の地域指定を受ける<2>合併は必要だが、新産業都市の範囲や合併の時期などについてはさらに検討するとの結論を出した。この調査結果は今月下旬開く予定の同市議会全員協議会に報告し、市議会としての今後の態度を協議することになつている。同日の小委員会は一部委員から県の計画する七市二六カ町村の合併より高梁川下流の四市あるいは三市を中心に新産業都市の地域指定を受け合併に進むべきだとする意見も出た。しかし新産業都市の地域指定と合併は形式上切り離せても実質的にはほとんど切り離すことができない、新産業都市の区域は将来合併する必要があるとの点では意見が一致した。また倉敷市が新産業都市の区域に入るということについてもほとんどの委員が賛成したが、その範囲と合併の時期については今後の問題として残された。さらに出席した委員のなかにはこれまで水島工業基地建設促進協議会を作り、話し合つてきた玉島、児島の両市と協議する必要があるとの意見も出て、尾高市議会議長から両市議会の意見を聞くことになつた。」

右記事のうち、まず見出しについてこれを見ると、「地域指定受ける」との見出しは本文と対照すればこれが「新産都法に基づく地域指定を国から受ける」との意味であることは明らかであるが、これを本文と切り離して見出しのみ読んだ場合、右見出しの真上にある「広域都市」の横書き見出しと一体となり、あたかも広域都市の地域指定を受けるとの印象を与える余地もあり、さらに本文について見ると、当日の小委員会議事は新産業都市の地域指定を受けるべきか否かが中心議題であり、なお県南三三市町村大合併計画については、三市もしくは四市の段階合併論、玉島、児島両市と協議すべしとする慎重論等委員の一部には県の提唱する大合併計画と異なる意見を有する者もあつたが、大勢としては県案賛成意見の委員が多数であつた(この点は明記されていないが、右記事全体の構成および一部委員の異論のみが特に紹介されていることからみて、上記の如き印象を受けるのは否み得ない)かのように読みとれる。したがつて、直截に、県案に対して消極的意見が多かつた旨送稿した前記吉沢原稿とは、少なくともその主旨が逆転しているものといわざるを得ない。そこで両者のうち、いずれが当日の小委員会の議事内容を正確に伝えるものであるかの点について以下検討する。

甲第三四号証の二、第四〇、九七、一二四号証、弁論の全趣旨により真正な成立を認める甲第三三号証、成立に争いのない甲第九六、一〇〇、一二三号証、乙第四六号証、第九五、九六号証の各一、二、証人吉沢利忠、同古谷重幸、同難波鉄夫の各証言を総合すると、次の事実を認めることができる。

倉敷市議会県南広域都市調査研究特別委員会は、昭和三七年二月末岡山県当局より派遣された企画部長が倉敷市議会において県の大合併計画に関する方針を説明したことがきつかけとなり、同議会議員全員を構成員とし、その名の示すとおり県南広域都市に関する諸問題の調査研究を行ない、その結果を市民に知らせることを目的として発足したが、さらにその下部機関として市議会議長、同副議長ほか市議会各派より比例代表方式で選出された一二名の議員で小委員会を組織し、実際に調査研究を開始した。昭和三七年七月一六日開催された前記小委員会の議題は、一応その直前に小委員会委員全員が東京へ出張し、関係各方面より意見を聴取した調査結果を取りまとめることであつたが、既に同年三月一二日足守町、三月二四日玉島市がそれぞれ議会において合併推進決議をしたのを皮切りに、その頃までに合併推進議決を行なつたところが約二〇市町村に達しており、合併の眼と目されながら沈黙を守つていた岡山、倉敷両市市議会の去就が漸く脚光を浴び、とくに倉敷市においては新産業都市地域指定の受諾については市議会、市民の間にも殆んど異論はなかつただけに、当日の小委員会において各委員の大合併計画に対する公式の見解が始めて示され、ひいては倉敷市議会の右計画に対する動向を占なう契機になるものと予測され、被告会社始め各方面より注目を集めていた。そして、当日午前一〇時四〇分開会された小委員会には尾高、田中、雨宮、山本、安原、秋山、平山、古谷、藤原、難波、吉田、藤川の合計一二名の委員が出席したが、果してへき頭より各委員が順次大合併計画に対する賛否両論を活発に述べ、最後に司会をつとめた雨宮委員がまとめを行ない、午後二時四〇分頃散会した。

以上の事実が認められ、前記各証拠のうちこれに反する部分は採用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

ところで、当日の小委員会席上、尾高委員は市議会議長であり、雨宮委員は県案賛成の意見をもつていたが委員長であつたためその立場上個人的見解の表明を避けたこと、田中、山本、安原各委員が県案賛成、古谷委員が反対、藤原、難波両委員が高梁川下流の三市或は四市合併論であつたことは当事者間に争いがないので、残る藤川、平山、吉田、秋山各委員の意見について以下個別的に検討してみる。

(イ) 藤川委員

乙第九五号証の一、二の証人吉沢利忠の証言により真正な成立を認め、かつこれらにより当日取材に赴いた吉沢記者が各委員の発言要旨をメモするために使用した取材用ノートであることが認められる甲第一一五号証の一、二には同委員の意見として「倉敷、児島、玉島三市は水島臨海工業地帯建設のために話し合つている。(中略)三市の連絡を密にしていくべきだ。(中略)早急に三市で話し合え。」との記載がみられるが、三市或は四市が合併すべきである旨の明確な記載は見当らない。しかし、同ノートには同委員の意見として「或る程度の合併はやむを得ないが、東京の三倍、大阪の五倍もある市をつくるのはどうか。岡山市を入れるのは大反対だ。サービス行政が低下する。」との記載もあり、成立に争いのない甲第七五号証(昭和三七年七月一七日付倉敷新聞一面記事)にも同旨の記載がみられることに照すと、同委員の意見を三市或は四市の合併論とまで断定することは困難であるが、少なくとも県当局の大合併計画に対しては消極説であつたことは明らかであるといわなければならない。

(ロ) 平山委員

証人雨宮茂、同難波鉄夫は、同委員は基本的には県案賛成であつた旨供述し、また甲第一一五号証の二にも同委員の発言として「大局的に県の計画は間違つていない」との記載がみられる。しかし、一方同ノートには「県の考えと私の考えでは区域にちがいがある。(中略)県南百万都市は夢でありムードだ。直ちに合併するのはムリだ。」或は「大合併は行政区域の適正という点から直ちに賛成できない。速度の制限をうけずに検討すればよい。」との記載もあり、甲第七五号証にも同旨の記載がみられる。そして、当日の小委員会における議事の実質的テーマは、前記のとおり抽象的な大合併論の是非なのではなく、岡山県が昭和三八年一月という期限を付して提唱し、右期限が刻々と迫りつつあつた県南三三市町村大合併計画の是非であつたのであるから、同委員の意見はむしろ県案に対して消極説であつたとみるのが妥当である。

(ハ) 吉田委員

前記取材用ノートには、同委員の発言として「倉敷は歴史もあり、市民感情がある。県の指導はいいが、それに安心してついていくことはできない。」との記載がある。右にいう市民感情が、大合併計画に反対の市民が当時多数存在し、それらの市民の抱いていた県案に素直についてゆけないとする感情を示すのか、或は倉敷市に代々住みついてきた市民の同市に対する愛着心を示すのかは右記載のみからは明らかでないが、甲第七五号証によれば、これは後者の意味であることが窺われる。また、同ノートには「藤原、藤川両委員の意見に同感である。」との記載もみられることに照すと、同委員は三市四市合併論ではなかつたが、少なくとも県案に対して消極説であつたことは疑問の余地がない。

(ニ) 秋山委員

甲第一〇〇号証、乙第九六号証の一、二、証人難波鉄夫の証言によれば、同委員は高令者で日頃から自己の意見を積極的かつ明確に述べることもなかつたことが認められ、前記取材用ノートには同委員の意見として「指定される区域をどの程度とみて合併するのがいいかということだと思う。ある程度の合併はやむを得ない。」との記載があり、甲第七五号証にも同旨の記載があるが、右各記載からも同委員の意見は賛否いずれであるか明確でない。もつとも、乙第九六号証の一、二によれば、吉沢記者は同委員が県案に飛びつくといつた発言態度ではなかつたことより、同委員の意見を消極論と判断したことが認められるが、右は憶測の域を出ないものであり、その他同委員の意見がいかなるものであつたかを認めるべき資料はないので、結局同委員は賛否いずれの意見であつたとも断定することはできない。

以上の検討によれば、右四委員のうち、藤川、平山、吉田各委員は大合併計画に対して消極説であつたこととなるから、これに前記高梁川下流三市或は四市合併論の藤原、難波両委員および反対論の古谷委員を加えると合計六名となり、尾高雨宮両委員を除いて当日意見を述べた一〇名の委員の過半数に達していたことが認められる。そうすると、吉沢原稿中の「高梁川下流の四市あるいは三市を中心に新産都法の指定を受け合併に進むべきだとする意見を中心に」との部分は若干正確性を欠いた嫌いがあるものの、最も重要な結論たる「県の提唱には消極的な意見の方が多かつた」との部分は当日の小委員会の動向に合致していたものというべきである。しかるに、吉沢原稿がデスクにより書き直され、文意の逆転した形で翌日の山陽新聞記事に掲載されたいきさつは、乙第四六号証、成立に争いのない乙第四九号証によれば、当時被告会社政治部長であつた二宮欣也は、かねてから吉沢記者が百万都市計画反対の意見の持主で、その送稿記事には可成り主観が入つているとの疑いを抱いていたことおよび同部長が既に個人的な立場から得ていた情報と吉沢原稿の内容とが喰い違うものであつたため、これを確めるべく吉沢記者に連絡をとつたが生憎同記者は支社に不在であつたことから、雨宮委員に電話で事情を聴取したうえ同原稿を書き直したものであることが認められる。しかし、乙第四六号証によれば、雨宮委員が以前から合併賛成派の中心人物であつたことは二宮部長も知悉していたことが認められるから、同委員から提供される情報も或は偏つたものとなる危険性もあることは想像されるところであり、同委員会を終始傍聴して直接取材にあたつた吉沢記者の原稿を根本的に覆すための調査活動としてはいささか軽率であつたことは否定できない。

したがつて、右の事情を前提としても、組合が前記山陽新聞記事をデスクによる記者原稿の意識的改変工作と受け取り、本件ビラにおいて前記々載の如き非難を加えたのは無理からぬものがあつたといわなければならない。

(4) 「いま社内では良心的な記者が不当な配転を押しつけられたり(後略)」との記載について

(イ) 証人天野朋一の証言によれば、昭和三七年七月被告会社編集局ラジオ・テレビ部(特信部)所属記者天野朋一(当時組合執行委員兼賃金対策部長)は、格別の業務上の必要もないのに編集局年鑑編集部へ配転となつたが、右年鑑編集部は従来から第一線を退いた高年令者或は病弱者等が専任するか、編集局資料部員が兼務するのが例となつており、社内では一般に閑職とみなされていたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(ロ) 証人栗山欣一の証言によれば、昭和三七年八月被告会社政治部所属記者で、主に県政、労働組合、革新政党関係の取材を担当していた栗山欣一(当時新聞労連加盟労組所属の第一線記者が多数加入していた日本ジヤーナリスト会議岡山支部事務局長)は、支局長および部員一名のいわゆる二人支局たる玉島支局へ配転となつたが、当時政治部には部長の下に記者五名がおり、そのうち組合員は三名、第二組合たる山陽新聞第一労働組合員は二名であつたところ、栗山記者の配転に引き続き他の二名の組合員も間もなく編集局内勤へ配転となり、その補充はすべて第二組合員が充てられたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(ハ) 甲第二四、九六、一〇二、一〇六号証、成立に争いのない乙第八五号証、甲第九〇号証とこれにより真正な成立を認める甲第二一、二二号証によれば、組合青年婦人部は構成員が若年層によつて占められていたこともあつて、職場活動方式による組合活動は従来からとくに活発であつたが、歴代の青年婦人部長は大部分就任後間もなく避地の支局へ配転されたこと、昭和三六年六月五、〇〇〇円の賃上げ要求をめぐり労使間の緊張が高まつていた際組合員たる編集局内勤記者一〇名に対する配転命令は、結局同年七月一週間にわたるストライキの結果争議が妥結した際会社側が全部撤回したことが認められ、成立に争いのない乙第三四、五三号証のうち右認定に反する部分は信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上の事実によれば、組合が前記各配転を組合員に対する不利益取扱もしくは組合に対する支配介入と受け取り、本件ビラにおいて不当配転との非難を加えたことも一応首肯しうるものというべきである。

(5) 「山陽新聞を兵営や刑務所のようにしようとするフアツシヨ的な就業規則」との記載について

被告会社には昭和二二年九月制定された旧就業規則が存在したが、昭和三七年六月三〇日新就業規則原案が組合に提示されたことは当事者間に争いがない。

甲第九〇、一〇六号証、乙第六号証の一、第六四号証、成立に争いのない甲第八六、八七号証、乙第四三号証、証人寒竹哲生、同福武彦三、同浅田昭治の各証言に前記争いのない事実を総合すると、次の事実が認められる。

被告会社の旧就業規則は従業員に対して条文集、冊子等も配布されることもなく、その内容は一般に殆んど周知されていなかつたが、各種労働条件、服務規律等のうち重要なものについては、事実上必要のつど労使間において労働協約、その他覚書、諒解事項等により協定されていたため平常の業務に格別支障を生ずるようなことはなかつた。しかし、昭和三四年頃被告会社労務担当重役の間に体裁、体系等の整備された就業規則を新たに制定しようとする気運が生じ、命を受けた労務部副部長浅田昭治は他社の就業規則を参照などして昭和三六年始め頃一応新就業規則の原案を完成したが、右原案は部長以上の管理職をもつて構成する労務管理研究会で検討が加えられたうえ役員会でその施行時期を昭和三七年八月からにすることを決定し、同年六月三〇日生産協議会席上で組合および第二組合に原案をそれぞれ提示してその協議を求めた。第二組合はこれに応じたが、組合は新就業規則原案は従来の労働条件、職場慣行等の変更を大巾に含むものであるからその協議は団交事項であると主張し、結局生産協議会における協議には応じず、また意見書の提出もしなかつたので、新就業規則は所轄労働基準監督署への届出を経て、賃金給与規定、賞罰委員会規定等の附属規定と共に予定どおり同年八月一日より施行されるに至つた。

以上の事実が認められ、前記各証拠のうちこれに反する部分は採用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

ところで、新就業規則のうち組合が強い関心を示した労働条件その他服務規律等に関する内容を概観するに、従業員の労働時間中における理由のない離席、外来者との私用の面会、私用による外出は原則的に禁止され、その禁止除外を所属上長の許可にかからしめることとし(二四、二五、二六条)、従業員が会社へ入場し、或は会社より退場する際携帯品に不審の点がある場合係員に対する提示義務を定め(四四条)、業務に支障のおそれあるものを所持する者等に対する入場制限、退去強制を定めている(四三条)ことは当事者間に争いがなく、甲第八六、九〇、一〇六号証、乙第六号証の一、成立に争いのない乙第六号証の二、証人浅田昭治の証言によれば、旧就業規則下では従業員に対する懲戒は労使双方の代表で構成する経営協議会の議を経てこれを行なうものとされていたが、新就業規則においては部長以上の管理職のみで構成する賞罰委員会の具申に基づいて取締役会が決定する制度に改められた(九六条、賞罰委員会規定二条)ことが認められる。これらの各規定は、それが適正に運用されれば必らずしも不当な服務規律と断ずることもできないが、しかし何らかの意図に基づく運用がなされる場合には人権侵害を惹起したり(証人寒竹哲生の証言によれば、当時バス乗務員についてなされていた身体、所持品検査に対して人権侵害ではないかとの声も上つていたことが窺われる。)、正当な組合活動を封ずる可能性がないとはいえない内容を有すると解される。そのうえ、右第二組合が昭和三七年二月に組合より分裂誕生したことは当事者間に争いがなく、新就業規則案の施行時期が第二組合および被告会社との対立抗争を含む労使間の緊張した状態が継続していた頃であり、また新就業規則の制定経過も前記の如くやや性急になされた嫌いがあり、さらに甲第一〇六号証、証人福武彦三の証言によれば従来被告会社職場内には他企業とは異なつた新聞社特有の可成り自由な雰囲気が支配していただけに、新就業規則原案を読んだ組合員の中には、今後はまるで兵営や刑務所のような重苦しい職場になるのではないかとの不安を表明する者もあつたことが認められる。これらの事実に照らすと、組合が新就業規則を捉えて前記記載の如き非難を加えたことは、その表現の点はともかく全く根拠のない誹謗として斥けることはできないというべきである。

(三) 本件ビラにおける表現の妥当性

本件ビラは、別紙(七)のビラ記載内容からも明らかなように、「百万都市推進の宣伝を……気狂いのように続け」「白を黒にしたウソの報道」「三木県政のご用をうけたまわる広報紙になりさがつている」「兵営や刑務所のようにしようとするフアツシヨ的な就業規則」等一般市民の感覚からするとどぎつい攻撃的表現をもつて終始し、やや激越もしくは誇張に過ぎ不穏当であるとの印象をぬぐいえないところである。しかし、労働組合はその程度に多少の差異はあるにしても、本来的に使用者に対する抵抗的組織体としての性格を具有するものであるから、その組合の行なう情宣活動も使用者に対する批判的、攻撃的要素を帯びるに至るのは或る程度避けられない面もあることは否定できない。もちろん虚構の事実にわたりこれを誇張、宣伝することは許されず、そのような場合には使用者の名誉、信用を害したものとして就業規則に従い懲戒されるのもやむを得ないといえるが、本件の場合、本件ビラの記載内容がその極く一部を除いては一応具体的客観的根拠を有するものであつたことは前記判断のとおりであり、加うるに、甲第九〇号証とこれにより真正な成立を認める甲第二〇、二一、二七、二八、二九号証、甲第一〇六号証、成立に争いのない甲第八九号証により真正な成立を認める甲第七三号証、弁論の全趣旨により真正な成立を認める乙第三七号証、原告則武本人尋問の結果によれば、昭和三七年組合より分裂誕生した第二組合は結成と同時に被告会社と締結した労働協約により、従来被告会社が組合員資格を認めていなかつた副部長、嘱託等を組合員として吸収した結果、結成当初の組合員数は組合に比して約四分の一の劣勢であつたにも拘らずその後着々と組合員を増加させ本件ビラ配布当時は第二組合三七〇名、組合二二〇名とその勢力が逆転するに至つていたことが認められ、さらに同年六月には前記のとおり新就業規則案が会社側より提示され同年八月一日その実施を見る等したことから、組合としては可成り危機感に陥つていたことを推認するに難くなく、このような状況に鑑みると、前記各表現が本件ビラの配布行為を労働組合法七条の保護の対象とならないとするほど不当なものとはいえないと解するのが相当である。

(四) 以上のとおり、本件ビラの記載内容はおおむね真実に合致するものであり、かつその表現の点においてもなお正当性を失なうものとはいえないから、結局本件ビラ配布行為は正当な組合活動と認めるべきである。

2  甲第二〇、二四、一〇二、一〇六号証、甲第九〇号証とこれにより真正な成立を認める甲第二二号証、原告則武本人尋問の結果によれば、組合は昭和三三年九月原告則武が執行委員長に始めて就任した頃より従来に比し急速にその組織を強化するに至り、被告会社との交渉により超過勤務手当支給、支社局員の待遇改善、女子社員の結婚退社制撤廃等を実現し、組合員の労働条件の維持改善に顕著な成果を挙げ始め、昭和三六年七月にはベースアツプ、労働協約改正、編集局内勤記者一〇人に対する配転撤回等の諸要求をめぐり組合結成以来最初のストライキを一週間にわたり実行し、ほぼ全面的に組合の要求が認められたこと、原告らは昭和三三年頃から引き続いて組合の執行委員会或は中央委員会のメンバーとして常に組合内での中心的活動家であつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

以上の事実に、本件ビラ配布当時における前記被告会社と組合間の対立緊張状態とを合せ考えると、被告会社は組合の中心的活動家であつた原告らを企業外へ排除することにより、当時第二組合の伸展に伴ない若干その勢力が後退していたとはいえなお組合員有資格者の四割近くを擁していた組合の弱体化をはかり一挙に優位に立つべく、原告らの前記正当な組合活動たる本件ビラ配布行為を捉えて、本件解雇をなすに至つたものと認めるのが相当である。

そうすると、原告らに対する本件解雇はいずれも労働組合法七条一号に該当し、不当労働行為として無効といわなければならない。

よつて、原告らの請求中、原告らが被告会社に対して労働契約上の権利を有することの確認を求める部分は、その余の点について判断するまでもなく理由があるものというべきである。

第三、賃金および一時金(賞与)について

一、賃金

(一)  基準内賃金

(1) 本給の上昇(定期昇給およびベースアツプ)

原告らが解雇された昭和三七年一一月一二日以降本件口頭弁論終結時に至る期間被告会社は毎年春季に組合との間に定期昇給(臨時昇給を含む)およびベースアツプに関する賃金協定を締結したこと(その締結日時、組合員一人平均の昇給、ベースアツプ額等支給基準の内容については別紙(一)記載のとおり)、右各年度における定期昇給中には調整金として会社がその裁量により従業員の業績寄与度、勤務成績等を勘案のうえ各人別に支給額を決定する査定部分の存することは当事者間に争いがない。

そうすると、厳密にいえば原告らの各年度における昇給額は右各賃金協定のみをもつて機械的に算出することはできないわけであるが、もともと原告らは被告の責に帰すべき事由により就労を拒否されていた結果査定の基礎とすべき実績およびその資料を欠いているのであるから、これを被告主張の如く原告らが解雇される直前実施された昭和三七年四月定期昇給時における実績調整金をもつて前記期間すべてを律する計算方法が合理的であるとはいえない。しかも、成立に争いのない甲第一六九号証、乙第八八号証によれば、右査定部分は、後記身分手当の如くこれを支給するか否かの二者択一的なものではなく、毎年の査定においても最低の者でも四割程度の調整金が保障されており、その査定の巾は比較的狭く、被告主張の実績調整金率なるものも原告西森の〇・九一六七より原告神吉の一・〇三六に至るまでおおむね平均ランクに近いものであることが認められるから、原告主張の如く組合員平均本給(原告神吉本人尋問の結果により真正な成立を認める甲第一四五、一六六号証によれば、前記各賃金協定締結当時の組合員平均本給額は別紙(一)の該当欄記載のとおりであることが認められる)を原告らの各本給額で除した比率を調整金部分に乗ずる機械的計算方法を採用しても著しい不合理は生ぜず、結局前記各賃金協定は査定部分も含めて被告会社の個別的意思表示を俟つまでもなく、原告らに対してその効力が及ぶと解するのが相当である。

(2) 家族手当

被告会社の賃金給与規定第四条が、扶養家族を有する従業員に対して、扶養家族一人目一、〇〇〇円、二人目五〇〇円、三人目五〇〇円なる基準に従い家族手当を支給する旨定めていること、本件解雇以降原告則武、同西森、同萩原はそれぞれ扶養家族三名、原告神吉は一名と増減なく、原告小野は昭和三九年四月まで一名、同年五月より二名、昭和四〇年二月より三名に扶養家族が増加していることはいずれも当事者間に争いがない。

よつて、原告らは右基準に従いそれぞれ所定の家族手当を請求する権利を有する。

(3) 身分手当

被告会社においては、社員について役員待遇以下主事に至るまで七段階の身分制が実施されており、右身分のうち副参事、参事については会社の定めた内規により、右各身分在位期間が各三年以上経過した場合には選考を受けたうえ一階級昇格してそれぞれ参事、特別参事になることができるが経過措置として社員もしくは主事の期間を通じて九年以上経過した者は副参事の選考資格を取得することは当事者間に争いがない。

甲第一四五号証、成立に争いのない甲第一七〇号証、原告神吉本人尋問の結果によれば、昇格は毎年慣例として一月一日付で実施されるが、選考の方法は昇格の実施される前年の一二月に人事部においてその年度中に所定の期間を経過した身分昇格資格取得者を一律にリストアツプし、局長以上の管理職をもつて構成する選考会議において右有資格者中より業績寄与度等を勘案のうえ現実に昇格させる者を決定していることが認められ、副参事に対しては一、七〇〇円、参事に対しては三、五〇〇円、特別参事に対しては五、〇〇〇円(いずれも月額)の身分手当が支給されていることは当事者間に争いがない。右事実によれば、右身分の昇格ないし取得は所定の身分もしくは社員在位年数の経過により自動的に生ずるものではなく、被告会社の選考を経て決定されるのであるから、賃金協定に基づく昇給等の請求の場合と異り、原告らに昇格請求権なるものの存在を認めることは困難である。したがつて、右各身分に対して支給される身分手当を賃金債権の一種として請求する権利もまた有していないと解さざるを得ない。

もつとも、甲第一六九号証、成立に争いのない乙第九二号証、原告神吉本人尋問の結果によれば、従来被告会社において長期病欠者等を除き身分昇格資格の取得と同時に殆んどの場合昇格の発令がなされていたが(被告会社には、右身分制のほかに局室長以下主任に至るまで九段階の役職制も実施されており、右各役職にある者に対してはそれぞれ所定の職分手当が支給されているが、身分手当と職分手当の重復する場合はそのいずれか高い額のみが支給されることとなつている。職分手当は役職という職務の重要度或は責任の要素に対して支給される性格を有しているが、身分手当は職務上の地位との関連性は全くなく、特定の身分にあることから生ずる効果は単にこれに対応する身分手当を支給されることに尽き、かつそれ以上のものではない。両手当の右の如き性格の相違が、身分昇格に関する被告会社の前記取扱いを生んだことが推測される)、組合分裂以降は第二組合員に対しては身分昇格資格取得と同時に昇格させる場合が多く、これに反して組合員に対しては昇格の決定が全く行なわれないか、行なわれたとしてもその昇格時期が著しく遅延されるという差別の行なわれている事情が窺われるが、右差別の事実から直ちに被告会社の個別的意思表示を俟つことなく原告らに賃金債権の一種としての身分手当請求権が発生すると解することはできない。

しかし、甲第一四五号証、乙第八八号証、成立に争いのない乙第八九号証、原告神吉本人尋問の結果によれば、原告らの執務能力、業績寄与度はおおむね平均もしくはそれ以上の水準にあつたことが認められるから、原告らは前記各身分のうち後記の如く特定のものについては、身分昇格資格取得に伴なう現実の昇格に対する可成り強固な期待的利益を有する地位にあるものといわなければならない。もちろん、昇格に対する最終的決定権が被告会社に留保されていることは前記のとおりであるが、昇格決定に対する被告会社の従前の取扱いならびに原告らの平均的勤務成績を考慮に入れるならば、原告らの有する地位を単なる事実上の期待もしくは希望に過ぎないものとしてこれを無視するのは相当ではなく、一種の期待権として法律上の保護が与えられるべきものと解するのが相当である。そうすると、身分に対して支払われる身分手当の支給を得べき期待的利益もまた当然法律上保護に値するものといわなければならず、本件において右期待権は被告会社の責に帰すべき解雇および就労拒否により侵害されたことは明らかであるから、右得べかりし利益の喪失を原告らは不法行為による損害賠償として請求し得るものといわなければならない。

そこで、原告らの損害額について判断する。原告らがそれぞれ請求原因二、記載の年月日に被告会社へ入社したことは当事者間に争いがなく、甲第一四五号証によれば原告則武が昭和二八年一〇月、原告神吉、同西森が昭和三〇年一月、原告萩原が昭和二九年一月、原告小野が昭和三一年一二月それぞれ社員となつたことが認められる。そうすると、原告則武、同萩原は前記内規により昭和三八年一月副参事、昭和四一年一月参事、昭和四四年一月特別参事にそれぞれ昇格すべき資格を取得することになるが、甲第一七〇号証によれば、前記七段階の身分昇格に関する選考基準は特別参事、副理事等一般に上位へ進むに従い厳格となり、有資格者中より現実に昇格する者の数は可成り限定されてくるが、下位の身分たる主事、副参事等への昇格は比較的容易に行なわれていることが認められるから、副参事およびその一つ上位の身分である参事にはそれぞれ昇格資格取得と同時に昇格し得たものと認めるのが相当であるが、特別参事については右原告両名の執務能力、業績寄与度が他の同経歴従業員に比して抜群に優秀であつたことを認めるべき証拠がない以上、昭和四四年一月の昇格資格取得と同時に昇格し得たと認めることはできない。したがつて、右原告両名の昭和三八年一月より昭和四〇年一二月まで毎月一、七〇〇円、昭和四一年一月以降毎月三、五〇〇円の各得べかりし利益を請求する部分は正当であるが、昭和四四年一月以降毎月五、〇〇〇円を請求する部分は失当であるから結局右の限度において右原告両名の請求は理由があるものというべきである。同様に、原告神吉、同西森は昭和三九年一月副参事、昭和四二年一月参事にそれぞれ昇格すべき資格を取得することになるが、右に述べたと同一の理由から昇格資格取得と同時に昇格し得たものと認めるのが相当であり、したがつて右原告両名の昭和三九年一月より毎月一、七〇〇円、昭和四二年一月より毎月三、五〇〇円の各得べかりし利益の請求は理由がある。しかし、原告小野については、同原告の入社年月日は前記のとおり昭和三一年一二月であるから、入社後満九年を経過するのは昭和四〇年一二月であり、したがつて、原告小野は昭和四一年一月副参事、昭和四四年一月参事にそれぞれ昇格すべき資格を取得することになるが、同様の理由から昇格資格取得と同時に昇格し得たものと認めるのが相当であり、したがつて同原告の昭和四一年一月より毎月一、七〇〇円、昭和四四年一月より毎月三、五〇〇円の各得べかりし利益を請求する限度において理由があるというべきである。以上により、原告らが昭和四四年一一月までに支払いを受けるべき金額は、原告則武につき二二万五、〇〇〇円、原告神吉、同西森につき各一八万三、七〇〇円、原告萩原につき二一万三、四六〇円、原告小野につき九万九、七〇〇円となる。

(4) 勤続手当

被告会社の賃金給与規定第八条が、満三年以上の勤続年数を有する従業員に対して勤続満一年につき一〇〇円(月額)を逐次加算して支給する(但し、勤続満三〇年で支給打ち切り)旨定めていること、原告らの入社年月日が前記のとおりであることはいずれも当事者間に争いがない。

よつて、原告らは右基準に従いそれぞれ所定の勤務手当を請求する権利を有する。

(5) 新聞代補助

被告会社においては、古くから被告会社の発行する山陽新聞の購読を従業員に対して義務づけ、その代り購読代金の一部を補助しているが、補助の具体的な方法として新聞代(定価購読料)と補助額との差額を毎月の賃金支給の際控除する形で行なわれていることは当事者間に争いがない。右事実によれば、新聞代補助の実質は、被告会社が一般読者より安い価格で山陽新聞を購読する便宜を従業員に対して与えているに過ぎないものであつて、一種の福利厚生的或は現物給与的性格が濃厚であり労働基準法一一条にいう労働の対償としての賃金に含まれないと解し得る余地もないではない。しかし、前記賃金支給時における新聞代と補助額との差額控除は、被告会社の単なる経理事務取扱上の便宜により行なわれているのではなく(甲第一六九、一七〇号証によれば、本件解雇当時までは賃金明細書中の支給欄に新聞代補助額を明記すると共に、同明細書控除欄に定価購読料を記載する取扱いがなされていたが、その後は前記の如く定価購読料と補助額との差額を控除欄に記載する取扱いに変つたことが認められる)、労働協約および賃金給与規定中に明確に定められていることは当事者間に争いがなく、そうすると右各規定に基づき被告会社は定価購読料と右控除額との差額、すなわち新聞代補助の支払義務を負つているものと解されるうえ、その支給方法は賃金の支給と実質的には同一手続で行なわれており、また本件解雇の際も解雇予告手当中に被告会社がこれを含ませていたことは当事者間に争いがないから、右新聞代補助は賃金の一種として基準内賃金に含まれると認めるのが相当である。そして、右補助額が昭和四〇年九月までは二一〇円、同年一〇月以降昭和四三年一一月までは三四〇円、同年一月以降は三六〇円であることは当事者間に争いがない。

よつて、原告らは右各補助額を請求する権利を有するものというべきである。

(6) 通勤手当

昭和四四年二月より施行された被告会社通勤手当支給規定が、勤務場所の施設もしくは構内に居住する者を除く全従業員に対して、これを勤務場所より片道二キロ未満および二キロ以遠に居住する場合に分け、前者については定額、後者についてはその通勤形態に応じて所定の通勤手当を支給する旨定めていることは当事者間に争いなく、成立に争いのない甲第一六三号証によれば、右通勤手当支給規定二条二項は、片道二キロ以遠に居住する者のうち(イ)徒歩通勤者五〇〇円(月額、以下同じ)、(ロ)自転車通勤者六〇〇円、(ハ)自家用原付二輪車、自動車による通勤者七〇〇円、(ニ)公共交通機関利用者に対しては七〇〇円までは定期乗車券代、七〇〇円を超える場合は超過額の三割加算(但し、一、五〇〇円で打ち切り)、なる基準を定めていることが認められる。右事実によれば、被告会社においては通勤費用を全くもしくは殆んど要しない者に対しても通勤手当が支給されることになつており、反面交通機関利用の場合一定の上限をもつて支給打ち切りを定めているのであるから、右通勤手当は必らずしも実費弁償的なものと解することはできず、一種の生活保障的な意味において支給されているものと解さざるを得ない。原告らは被告会社より就労を拒否されている結果本件解雇以降現実には被告会社へ通勤していないとしても、右通勤手当の性格よりみて原告らはこれを請求する権利を有するものというべきである。そして、成立に争いのない甲第一六四号証によれば原告らの、居住場所および通勤形態ならびに右通勤手当支給基準により原告則武五〇〇円、原告神告一、三〇六円、原告西森七〇〇円、原告萩原八〇五円、原告小野一、五〇〇円の各支給を得べきことが明らかである。

(7) 原告萩原の組合業務専従および公職立候補期間中の賃金控除

原告萩原が本件解雇以前である昭和三六年七月一三日付で組合業務専従者となり、本件解雇後である昭和三八年七月一日付で専従解除となり同日組合よりその旨被告会社に対して通知されたことは当事者間に争いがなく、乙第八八号証によれば、同原告は昭和四二年三月三一日岡山県議会議員選挙に立候補し、同年四月一六日落選の決定のあつたことが認められる。

甲第二号証、乙第六号証の一、第九〇、九一号証によれば、被告会社と組合との間に締結されている労働協約および被告会社就業規則は、組合業務専従期間および公職立候補期間はいずれも無給休職扱いとする旨定めていることが認められるから、原告萩原の基準内賃金中昭和三八年七月および昭和四二年三、四月の該当期間はそれぞれ日割計算によりこれに対応する分を控除(昭和三八年七月および昭和四二年三月分につき各一日分、昭和四二年四月分につき一六日分)しなければならない。但し、前記各基準内賃金(身分手当を除く)中、家族手当、新聞代補助および通勤手当はいわゆる生活保障給的部分に属し、必らずしもその労働量に比例して支給されるものとは認め難いので日割計算控除の対象より除外すべきである。

(二)  基準外賃金

(1) 原告則武、同神吉、同西森の基準外賃金

被告会社の賃金給与規定に定められている基準外賃金中、時間外勤務手当、深夜割り増し手当、早朝勤務手当、休日勤務手当の各諸手当は基準内賃金中の所定賃金月額に一定の係数および当該勤務時間数を乗ずる比例増額計算により算定されるが、このうち時間外勤務手当の算定方式が

所定賃金月額/179×1.25×時間外勤務時間

なるものであることは当事者間に争いがなく、甲第一四五号証、乙第八九号証によれば、右算式中の所定賃金月額とは本給、職分手当(身分手当を含む)、勤続手当の合計額であることが認められる。

右事実によれば、右原告三名の基準外賃金は当該時間外勤務時間数が明らかにされなければ本来算定不能といわなければならないが、右原告三名は本件解雇以降被告会社より就労を拒否されてきたため就労の実績(時間外勤務時間数)を具体的に明示し得ないのであるから、これを現実に算出するためには本件解雇当時の基準外賃金額(解雇予告手当支給に際して算定された額)を基礎にして、それ以後所定賃金月額の上昇のつど新所定賃金月額を旧所定賃金月額で除して上昇比率を求め、これを旧基準外賃金額に乗じて新基準外賃金額を算出する比例計算方式によるのが最も合理的であると解される。ただし、右原告三名が身分手当を不法行為による損害賠償として請求し得るが、賃金の一部としてこれを請求し得ないことは前記判断のとおりであるから、右比例計算における所定賃金月額中より身分手当は除外しなければならない。

なお、乙第八九号証、証人浅田昭治の証言とこれにより真正な成立を認める乙第八二ないし第八四号証によれば、被告会社においては昭和三九年七月一日より各職場間の労働態様不均衡の是正および実質的労働時間の短縮を実現するため、従来の時間外勤務時間を大巾に減じ、これによつて節減された賃金減資を深夜勤務割増手当の増率に振り替える等のいわゆる新勤務体制に移行したが、本件解雇当時原告則武の所属していた編集局整理部および原告西森の所属していた工務局印刷部においては右の移行に伴なう深夜勤務割増手当率改訂の影響が生じ、従前に比して前者については三二・二%の減少、後者については二・二%の増加となつたことが認められるから、右原告両名の昭和三九年八月以降の基準外賃金額は前記算定額に右の増減係数をそれぞれ乗じた額になると認めるのが相当である。

(2) 原告萩原の基準外賃金

原告萩原が組合業務専従者となる以前編集局社会部所属の外勤記者であつたこと、外勤記者に対しては前記時間外勤務手当等に関する規定は適用されず、その基準外賃金は外勤記者基準外打ち切り手当および深夜勤務打ち切り手当の両手当より構成されることは当事者間に争いがない。甲第一四五号証、乙第九二号証によれば、外勤記者基準外打ち切り手当は基準内賃金(但し、家族手当を除く)額二、〇〇〇円以上の外勤記者に対して、右額が二、〇〇〇円上昇するつど一定額の手当を支給するものであり(但し、その上限が毎年逐次増額されていることは後記のとおり)、深夜勤務打ち切り手当は午後一〇時以降午前五時までの間の勤務に対して一時間未満の場合一〇〇円、一時間以上一五〇円、その後三〇分増す毎に七五円の加算支給がなされるものであることが認められるが、前記の如く原告萩原は本件解雇当時未だ組合業務専従者であつたため就労の事実が存せず、したがつて現実の深夜勤務時間を基礎にして深夜勤務打ち切り手当額を算定することができない。しかし、本件解雇の際原告萩原に支給された解雇予告手当額が三万五、一二四円であつたことは当事者間に争いがなく、甲第一四五号証、乙第九二号証、成立に争いのない甲第一六〇、一六一号証によれば、その内訳は本給二万五、二五〇円、勤続手当九〇〇円でその合計額(外勤記者基準外打ち切り手当支給の基準となる基準内賃金額)二万六、一五〇円に対応する当時の外勤記者基準外打ち切り手当額は五、三五〇円であることが認められるから、これより逆算して本件解雇当時の深夜勤務打ち切り手当額を割り出すと(前記解雇予告手当は本給、家族手当、勤続手当、新聞代補助、外勤記者基準外打ち切り手当および深夜勤務打ち切り手当の合計額であるから、右の逆算が可能である)一、四二四円となる。そして、乙第八九号証によれば、右深夜勤務打ち切り手当に関する支給基準は本件解雇以降改訂されていないことが認められるから、原告萩原が組合業務専従を解かれて復職した昭和三八年七月二日以降毎月右金額をそのまま認めるべきこととなる。一方、乙第八九、九二号証、原告神吉本人尋問の結果により真正な成立を認める甲第一六八号証によれば、外勤記者基準外打ち切り手当支給の基準となるべき基準内賃金額の上限およびこれに対応する右打ち切り手当額は、毎年実施される定期昇給およびベースアツプに伴なう基準内賃金額の全体的上昇に合わせるため毎年逐次改訂が行なわれ、昭和四三年四月には基準内賃金額上限五万四、〇〇〇円、これに対応する打ち切り手当額一万一、五一〇円にまで引き上げられたことが認められるから、原告萩原の昭和三八年七月二日以降の基準外賃金月額は、右各外勤記者基準外打ち切り手当額に前記深夜勤務打ち切り手当額一、四一四円を合算したものと認めるのが相当である。しかし、同原告には前記無給休職期間が存するから、該当期間に対応する分はこれを日割計算により控除しなければならない。

(三)  まとめ

本件解雇のあつた昭和三七年一一月分賃金のうち同月一一日までの賃金として、被告会社が原告則武に対し二万一、三六二円、原告神吉に対し一万五、九六八円、原告西森に対し一万九、一九〇円、原告小野に対し一万五、五三四円それぞれ支払つたことは当事者間に争いがない。

よつて、以上を総合すると、本件解雇のなされた昭和三七年一一月一二日以降(原告萩原については組合業務専従から復職した昭和三八年七月二日以降)本件口頭弁論終結時の直前の支払日までに原告らに対して支払われるべき年月別基準内賃金および基準外賃金(原告小野を除く)の各額と総額(但し、前記のとおり身分手当は賃金債権としてではなく損害賠償としてこれを認めるべきものであるが、その金額自体は同一であるから便宜上身分手当相当額として、これを後記別紙(九)の基準内賃金欄の一部に含ませて記載した)は別紙(九)記載のとおり計算されることとなり、結局原告らは同別紙の総合計金額欄記載の金額(原告則武四六二万四、八一二円、原告神吉三六九万三、六九九円、原告西森四三七万五、九八九円、原告萩原四三二万七、六五五円、原告小野三六〇万四、九四八円)につき賃金債権および損害賠償請求権を有する。そうすると、原告神吉の請求は正当として認容すべきであるが(原告神吉は右金額中三六九万三、一九一円しか請求していない)、原告則武、同西森、同萩原、同小野の各請求は右認定の各金額の限度でこれを認容し、その余は失当として棄却すべきこととなる。

(四)  遅延損害金

乙第六号証の一、二、第九二号証によれば、被告会社における賃金の支払日は、昭和三九年三月までは基準内賃金が毎月二八日、基準外賃金が翌月一〇日であつたが、昭和三九年四月以降は基準内賃金が毎月二六日、基準外賃金のうち時間外勤務手当、外勤記者基準外打ち切り手当、深夜勤務打ち切り手当は翌月の二六日と定められていることが認められる。原告小野を除く原告らは各年毎の基準内外賃金合計額につき昭和三八年分までは翌年の一月一日以降、昭和三九年分以降は毎年一二月二七日以降完済に至るまでの遅延損害金を請求しているが、前記の如く昭和三九年以降の基準外賃金支払日は翌月二六日であるから、右各請求のうち昭和三九年以降昭和四三年に至る各年の一二月分および昭和四四年一一月分の各基準外賃金をも含ませているのは失当であり、右各基準外賃金のうち前者についてはそれぞれ翌年の一月二七日以降、後者については昭和四四年一二月二七日以降それぞれ遅延損害金が発生すべきものである。したがつて、小野を除く各原告らの昭和三七年より昭和四三年に至る各年別基準内外賃金および昭和四四年一月以降一一月に至る基準内外賃金の各合計額(但し、前者については昭和三九年以降各年の一二月分、後者については昭和四四年一一月分の各基準外賃金額を除いたもの)と遅延損害金起算日および昭和三九年以降の各年別一二月分(昭和四四年については一一月分)基準外賃金額と遅延損害金起算日ならびに、原告小野の昭和三七年以降昭和四四年に至る各年別基準内賃金の合計額と遅延損害金起算日はそれぞれ別紙(一〇)、同(一一)記載のとおりとなり、原告らは右各別紙記載の金員(但し、原告神吉については前記認定額と請求額との差額五〇八円は、同原告の昭和四四年分基準内外賃金額および同年一一月分基準外賃金額に按分比例して控除するのを相当とするが、後者については円未満となるので結局全額を前者より控除するものとする。)につきそれぞれ右各別紙記載の遅延損害金起算日より完済に至るまで商事法定率年六分の割合による遅延損害金の支払いを得べき権利を有する。しかし、身分手当に関する損害賠償請求権については商事法定利率は適用することができないから、この部分についても年六分の割合による遅延損害金を求める原告らの請求は失当というべきであり、民事法定利率年五分の割合の範囲内でこれを認容すべきである。そして、昭和三八年より昭和四四年に至る原告らの各年別身分手当相当額の損害額合計は別紙(一二)記載のとおりであるから、結局原告らは右各金員につき同別紙記載の各遅延損害金起算日より完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを受ける権利を有することとなる。

(五)  口頭弁論終結以後の賃金債権および損害賠償請求権

本件口頭弁論終結時(昭和四四年一一月二七日)に未だ支払日の到来していない昭和四四年一二月分以降の賃金債権については、本件解雇以降七年余にわたり被告会社が一貫して原告らの従業員たる地位を争うと共に原告らの就労を拒否している事情に照せば、被告会社が今後任意に原告らを復職させたうえ賃金の支払いをなすことは到底期待し得ないことが明らかであるから、その終期を付することなく予じめ請求を行なう必要性を肯定することができる。さらに、身分手当に関する損害賠償請求権についても、厳密にいえばその損害は未だ発生していないものであるが、その発生時期(基準内賃金の支払日たる毎月二六日)および損害額(少なくとも、原告らが本件口頭弁論終結当時支給を得べき身分手当相当額)は確定しているのであるから、前記被告会社の原告らに対する態度より予じめ請求を行なう必要性を認めるのに妨げないと解するのが相当である。

したがつて、原告らの請求中、本件口頭弁論終結時における原告らの各賃金債権のうち基準内賃金(その額は別紙(九)中の昭和四四年一一月分基準内賃金合計欄記載の額から身分手当相当額を差し引いたもの)および同月分身分手当相当額につき昭和四四年一二月以降毎月二六日限り支払いを求める部分は正当であるが、同年一二月分以降の基準外賃金(その額は別紙(一一)の該当欄記載のとおり)については前記のとおりその支払日は翌月二六日であるから、翌月二六日限りそれぞれ支払いを求める限度で認容すべきものである。

二、一時金(賞与)

(一)  原告らが解雇された昭和三七年一一月一二日以降本件口頭弁論終結時に至る期間被告会社は毎年六月および一二月に組合との間にそれぞれ夏季および年末一時金に関する一時金支給規定を締結したこと(昭和三九年夏季一時金以降の調整金比率を除く各期における組合員一人平均の支給額、配分等に関する支給基準の内容については別紙(二)記載のとおり)、右各期に支給された一時金中には定期昇給の場合と同様に調整金として会社がその裁量により従業員の業績寄与度、勤務成績等を勘案のうえ各人別に支給額を決定する査定部分の存することは当事者間に争いがない。

そうすると、厳密にいえば原告らの各期における一時金支給額は右各一時金支給協定のみをもつて機械的に算出することはできないわけであるが、前記定期昇給において判断したところ同一の理由により右各一時金支給協定に定められている調整金比率に原告らの各本給を乗ずる算定方法を採用するのが最も合理的と解されるから、結局前記各一時金支給協定は査定部分も含めて被告会社の個別的意思表示を俟つまでもなく、原告らに対してその効力が及ぶと解するのが相当である(なお、昭和三九年夏季一時金以降一時金支給協定書中に調整金比率は明記されていないが、甲第一四五号証、成立に争いのない甲第一四四、一四六、一六七号証、原告神吉本人尋問の結果とこれにより真正に成立したものと認められる甲第一六六号証によれば、被告会社は右各期のうち、昭和三九年夏季より昭和四三年年末に至る各一時金支給に関する組合との団交席上で前記別紙(二)記載の各調整金比率を口頭により明示していたことが認められ、昭和四四年夏季一時金における調整金比率が七・九八割であつたことは被告において明らかに争わないから自白したものとみなす)。

しかし、右各一時金中には身分手当の一〇割ないし五割を支給する部分が含まれているが、身分手当を賃金債権として認めることができないことは前記判断のとおりであり、したがつてこれを一時金を構成するものとすることはできないので除外せざるを得ない。もつとも、前記身分手当において判断したところと同一の理由によりこれを不法行為による損害賠償としては請求しうるものと解するのが相当である。そこで損害額について判断すると、前記別紙(二)記載のとおり、一時金中の身分手当支給比率は昭和三八年夏季一時金が一〇割、同年年末一時金以降はすべて五割であるから(昭和三七年年末一時金支給の際は原告らはいずれも身分手当に関する損害賠償請求権を有していないから除外する)、原告則武は昭和三八年夏季につき一、七〇〇円、原告則武、同萩原は昭和三八年年末より昭和四〇年年末に至るまでの各期毎に八五〇円(但し、原告萩原の昭和三八年年末一時金については、後記の如く日割計算控除により七〇七円)、昭和四一年夏季より昭和四四年夏季に至るまでの各期毎に一、七五〇円(但し、原告萩原の昭和四二年夏季一時金については、同様に日割計算控除により一、五八九円)、原告神吉、同西森は昭和三九年夏季より昭和四一年年末に至るまでの各期毎に八五〇円、昭和四二年夏季より昭和四四年夏季に至るまでの各期毎に一、七五〇円、原告小野は昭和四一年夏季より昭和四三年年末に至るまでの各期毎に八五〇円、昭和四四年夏季一、七五〇円の、それぞれ得べかりし利益の喪失を損害賠償として請求する権利を有することとなる。そうすると、原告らの支払いを受けるべき金額は、原告則武につき一万八、二〇〇円、原告神吉、同西森につき各一万三、八五〇円、原告萩原につき一万六、一九六円、原告小野につき六、八五〇円となる。

なお、乙第八八号証によれば、被告会社における夏季および年末一時金の対象期間は前者が前年の一二月一日よりその年の五月三一日まで、後者がその年の六月一日より一一月三〇日までの各六カ月間であることが認められ、前記の如く原告萩原には組合業務専従および公職立候補に基づく各休職期間が存するところ、一時金の法的性格はともかく、少なくともこれが労働基準法一一条にいう賃金の一種にあたることは疑問の余地がないから、右各休職期間の含まれる昭和三八年年末一時金および昭和四二年夏季一時金の支給額は、それぞれ右各期中の所定労働日数(前者は一五五日、後者は一五二日)から右各休職期間中の所定労働日数(前者は二六日、後者は一四日)を差し引き日割計算により控除しなければならない。

よつて、以上を総合すると、前記損害賠償額のほかに、本件解雇のなされた昭和三七年一一月一二日以降(原告萩原については組合業務専従から復職した昭和三八年七月二日以降)本件口頭弁論終結時に至る期間において原告らに対して支給さるべき各夏季および年末一時金の各期別金額は別紙(一三)記載のとおり計算され、結局原告らは同別紙の合計金額欄記載の金額(原告則武一七〇万八、四八〇円、原告神吉一六五万七、六三二円、原告西森一六四万六、八四一円、原告萩原一五六万二、五二六円、原告小野一六七万六、三一〇円)の支払いを受ける権利を有する。そうすると、原告らの一時金に関する請求は以上認定の各金額の限度でこれを認容し、その余は失当として棄却すべきこととなる。

(二)  各期における一時金支給期日は前記別紙(二)記載のとおりであるから、原告らは前項認定額のうち別紙(一三)記載の各期別金額につき各支給期日の翌日である同別紙記載の遅延損害金起算日以降完済に至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを受ける権利を有する。しかし、身分手当の五割ないし一〇割支給に関する前記損害賠償請求権については、前記判断のとおり商事法定利率は適用されないから、この部分についても年六分の割合による遅延損害金を求める部分は失当というべく、昭和三八年夏季(原告萩原については昭和三八年年末)より昭和四四年夏季に至る原告らの各期別損害額は別紙(一四)記載のとおりであるから、結局原告らは右各金員につき同別紙記載の各遅延損害金起算日より完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを受ける権利を有することとなる。

三、総括

以上すべてを総合すると、別紙(一五)総括表記載のとおり、原告らは賃金、身分手当に関する損害賠償、一時金(賞与)の合計として、原告則武につき六三五万一、四九二円、原告神吉につき五三六万四、六七三円、原告西森につき六〇三万六、六八〇円、原告萩原につき五九〇万六、三七七円、原告小野につき五二八万八、一〇八円の、それぞれ支払いを受ける権利を有することとなり、右各金額中の各遅延損害金および口頭弁論終結以降の賃金等支払いについてはそれぞれ前記各項で判断したとおりである。

第四、結論

以上のとおり、原告らの本訴請求は主文第一ないし第三項の限度でこれを正当として認容し、その余を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法九二条但書を、仮執行の宣言については原告らが昭和四三年八月一四日当庁同年(ヨ)第一九四号賃金支払仮処分命令申請事件において別紙(一六)記載の主文を内容とする仮処分決定を得たことは当裁判所に顕著であるところ、弁論の全趣旨によれば本件口頭弁論終結時までに原告らは右仮処分決定に基づく賃金等(その金額は、原告則武につき三〇九万〇、〇〇二円、原告神吉につき二八〇万五、四一四円、原告西森につき三〇四万七、〇三〇円、原告萩原につき二九八万六、七九〇円、原告小野につき二八二万四、四二六円)の仮払いを被告会社より受けていることが推認するに難くないから、右仮払いのなされた部分についてもなお本判決において仮執行宣言を付する必要性は乏しく、また口頭弁論終結以降の賃金および損害賠償(身分手当相当額)請求権のうち後者については仮執行宣言を付するのは相当でないからいずれもこれを付さないこととし、その余の部分についてこれを付するのを相当と認め同法一九六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 五十部一夫 東孝行 大沼容之)

別紙(一) 各年別賃金協定一覧表<省略>

別紙(二) 各期別一時金支給協定一覧表<省略>

別紙(三) 各年月別基準内基準外賃金一覧表(甲)<省略>

別紙(四) 各期別一時金一覧表(甲)<省略>

別紙(五) 債権目録<省略>

別紙(六) 遅延損害金起算日一覧表<省略>

別紙(七) 本件ビラ全文

“真実の報道”を要求しよう

百万都市一月合併に反対しよう

山陽新聞の経営者に抗議を!

市民の皆さん、読者の皆さん!

いつもわたくしたち山陽新聞の労働者にご理解とご支援をいたゞいていることを心から感謝しております。

このビラも実は皆さんから寄せられたカンパでつくられたものです。

最近、山陽新聞の経営者は「少々かなづかいがおかしくてもほつておけ」といつています。「読者へのサービスが低下してもいたしかたない」というのです、読みやすい、美しい紙面づくりは新聞の命のはずです、ではどうしてこんなことを言い出したのでしよう、理由はいとも簡単“人べらし”=合理化をやるためだといつています。

また一方、「百万都市推進」の宣伝をくる日もくる日も気狂いのように続けています。記者の書いた原稿を書き直し、白を黒にしたウソの報道をしたり、百万都市や一月合併への皆さんの疑問や反対の声を正しく伝えることをこばんでいます、真実を伝え、公正な報道を使命とする新聞としてはこれも許されない自殺行為です、それなのになぜこんなことをするのでしようか、理由は山陽新聞の経営者が、読者や地域の皆さんの利益よりも、水島進出をねらう独占資本の利益を優先させ、独占本位の三木県政のご用をうけたまわる広報紙になりさがつているからです。このため、いま社内では良心的な記者が不当な配転を押しつけられたり、異動による欠員補充はないまま労働強化をしいられています。“紙面もいいかげんでいい”と経営者がいうのもこのような事情からです。

市民の皆さん、読者の皆さん!

会社は今年二月に組合へ分裂をもちこんでいらい、一貫して闘う労働者へ弾圧をつよめてきました。さきごろ、山陽新聞を兵営や刑務所のようにしようとするフアツシヨ的な就業規則について皆さんに訴えましたが、会社は私たちの反対、皆さんの支援や抗議にもかかわらず八月から強行実施しています、職場では職制が“一分遅刻しても文書で理由を書け”といつたり、“民主的な新聞、雑誌を置くな”といつたりして来ています。このフアツシヨ的な就業規則はものいわぬ労働者をつくり、首切りをし、独占奉仕の百万都市を推進し、新聞の反動化をねらうための「職場の政暴法」であることがいよいよはつきりしてきました。

市民の皆さん、読者の皆さん!

私たちはこの就業規則全面粉砕まで闘い抜きます。すでに多くの皆さんから力強いご支援と抗議署名、カンパをいただき、私たちと読者の皆さんの共闘は次第に広がつています。私たちは今や勇気百倍、皆さんとともに真実の報道、民主主義を守ることが出来るという確信をもちました。私たちはかさねて皆さんのご支援にお礼を申上げるとともに、さらに一人でも多くの人たちが共に闘いにたち上つて下さるよう訴えます。

一、真実の報道をかちとり、新聞を読者のものにするため、山陽新聞経営者に抗議、要求をしよう。

一、住民の意思を無視した百万都市一月合併に反対し、地域の民主主義と市民生活を守ろう。

一九六二年九月三日

新聞労連山陽新聞労働組合

抗議先 岡山市下石井三九七 山陽新聞社 社長 小寺正志

別紙(八)

会社の不当労働行為の実情

一、昭和三三年夏までの状況。

(一) 組合は昭和三〇年までは山陽新聞従業員組合と称していた。その頃までの組合は会社に対抗して組合員の労働条件の改善をはかるという組合本来の活動を行う意欲を欠き、当時の組合執行委員長藤原義章が組合機関紙に発表しているように「山陽新聞の組合結成以来幾年月を経たが経済闘争らしいことをしたことがない。要求をしても一たん会社からけられた場合何ができるだろう。執行委員等がゾロゾロ役員室を訪れて懇願に努める以外に手がうてない」といつた状態であり、会社に対して要求を出しに行つた組合委員が社長に馬鹿野郎とどなられたりする始末だつた。

組合がこの様に主体的に活動する能力のない無気力な状態であつたから、組合員の労働条件も悪く、女子の深夜労働および時間外協定なき時間外労働等の労基法違反行為等が当然され、過労で倒れる従業員が続くといつた状態だつた。

この様な中で、原告等を中心とする若い労働者の間に、労働条件改善のため組合を強化しなければならぬという問題意識が広まり、事態改善のための活動が始められた。そうして、山陽新聞労働組合への名称変更、組合事務所の確保等にはじまり、昭和三一年にはこれら青年労働者の中から福武彦三が組合副執行委員長に選任されるなど若い意欲的労働者が組合執行部へ加わるようになり、この傾向は昭和三二年三三年と続き、若い意欲的な組合員の加わつた執行部の下で、組合は労働条件改善のために努力する本来の組合に少しずつ形をかえていつた。例えば昭和三一年度夏季一時金について組合が従来に見られない大巾な金額である基準内賃金二ケ月分の要求を提出したり、昭和三二年のベースアツプ要求および三三年の夏季一時金要求につき、地労委に斡旋を申請するなど組合の動きの中にこれまでにない意気込が感じられるようになつた。そして原告等は当時から若い意欲的労働者の中心となつて、組合強化のために努力を続けてきたものである。

(二)(1) この昭和三三年夏までの期間は、組合がまだ弱体であり、組合員個々人の間での労働組合意識も低かつたのに対応して、会社は直接的な形で組合運動に対し支配介入を行つた。

(2) 例えば組合役員の選挙のために開催された組合大会の運営について、会社が発言内容を指示したり、大会中に会場と連絡をとりながら戦術を指導する等想像もつかないことが行われていた。

昭和三一年五月の組合第一五回定期大会において、執行部役員の選挙に際し、対立候補がなかつたので立候補者の信任投票が行われた。ところが組合代表としてすじを通すことができないような副委員長、書記長等の候補者は不信任せられ、組合執行部が役員選挙を後の機会に持ち越そうとしたのも大会で否決され、その大会で役員選出を行うことが決定されたこの時、大会場の隣の秘書課室奥にいた会社の総務局長大塚利一(本件解雇当時の労務担当常務取締役)は営業局や総務局出身大会代議員に対し退場を命じた。このため大会は分裂し、その結果大会は後日に延期され、妥協的人事を余儀なくされた。

又翌年五月の第一六回定期大会においても同様の不当介入が行われた。この大会では、これまで組合作りの努力を続けてきた原告則武(委員長)、同萩原(副委員長)が立候補しており、しかも当選の可能性があつた。会社は組合の強化をおそれ、総務局長大塚は、大会前夜、営業局、総務局出身大会代議員を料亭新松葉に集め大会に対する指示を与えた。右代議員はこの指示にしたがつて大会をボイコツトし、この結果組合は妥協的役員人事を余儀なくされた。

(3) 又会社は、組合の活動面でも不当に介入して活動を阻害しようとした。

昭和三二年、組合はベースアツプ等を要求して何度か団体交渉を会社と行なつた後これを地労委の斡旋手続に付すべくその賛否を組合員の全員投票にはかつた。その結果は、投票総数三四九票中賛成二九四票反対四七票、無効八票と斡旋申請が圧倒的多数で決定された。すると会社は、会社の職制の集りである鯛松会や職制組合員を使い、総務局、営業局所属組合員一三八名の脱退届を執行部につきつける等の手段をろうして、組合に斡旋申請の手続をとらせないようにした。

同様のことは、昭和三三年の夏季一時金交渉に関し組合が地労委に斡旋の申請をなした時にも行なつた。

組合は、組合分裂をおそれ、申請を取下げたが、この様に会社は労働問題解決の機関である地労委の斡旋申請を利用することを異端視するほど頑迷な反組合思想にこりかたまつていたのである。

(4) 組合活動家に対する配置転換もさかんに行われた。

昭和三一年中に、組合の青年婦人部々長(初代)福武彦三(本社から支社へ)、同(二代)尾原良一(本社から倉敷支社へ)、同(三代)吉沢利忠(本社から倉敷支社へ)の配置転換が行われた。青年婦人部は昭和三〇年八月に結成されて以来、組合作りの運動の中心となり、年末一時金要求について独自に会社に陳情するなどそれまでの停滞を破るものがあつたので会社がこれを謙悪し、部長の配転を行なつたもので、当時は青婦部長になるには必死の覚悟が必要だといわれていた。その外、会社は土倉敬、原憲正の配転を行なつているが、これも活動家の他地域配転として同種の例である。これら配転により、組合活動の面で著しい不便をこおむつた上、配転の対象者は私生活上の不利益を受けた。

又昭和三一年中に、会社は組合執行委員長藤原義章を二度配置転換した。配置転換されると仕事を新に覚えねばならぬ上、配置転換を受けた部は多忙であつたり、又外出が多かつたため、組合用務に時間を割くことが困難となつた。当時組合機関紙は組合教宣部長の病気のため委員長が編集発行に当つていたが右の配転のため組合機関紙(当時の機関紙は組合員の投書をそのまま載せていたから、紙面には活発な意見が多く掲載されていた。)を中心とする教宣活動が著しく阻害された。

それから昭和三三年八月、同年五月の組合定期大会において執行委員長に選出されており、同時に組合の上部団体である新聞労連会計監事の地位にあつた三村実徳を、会社は労務部次長に任命した。それと同時に労務部次長は非組合員にすると組合に通告した。そして組合に委員長がいないという事態が起り組合活動は著しく阻害された。当時労務部次長は他に一名いたので、会社は次長のポストを増加してまで不当介入を行つた訳である。

二、昭和三三年秋頃より昭和三六年秋頃までの状況

(一) 昭和三三年九月、組合は臨時大会を開いて、原告則武(委員長)、同萩原(執行委員)等従来組合の組織強化に努力してきた人達が中心となる新しい型の組合執行部を選出した。そしてこの時以後、組合は組合員の労働条件の向上のために意欲的に活動する執行部の下で、自主性のある組合に徐々に成長していつた。組合は賃上等の外、昭和三四年二月以降組合員の範囲等を含む労働協約改正の運動を進める等組合の権利面の拡大にも努力し、又昭和三四年には青年婦人部は結婚退社制度を撤廃させた。又、組合は昭和三三年には組合結成後はじめてスト権を確立し(賛成三四八票、反対一〇四票、ストはしない)、昭和三四年一一月にも賛成八八%の高率の支持によりスト権確立を行い(ストはしない)、昭和三七年七月には実際にストライキを実行し、賃上三二〇〇円、労働協約はほぼ組合の要求を認めさせるという成果を上げるまでになつた。

この様に、組合が会社に対抗しうるまでに成長し、会社と組合との利害の対立が明らかとなり、激化してきたのに対応して、会社は組合運動に対し執拗に不当介入を行つた。

(二)(1) 昭和三五年一月、会社は従来部次長と呼ばれていたポストを副部長と名称変更し、新たに二〇年以上の永年勤続者に参事という肩書を与え、同時にこれ等副部長、参事合計七一人を非組合員扱いにすると一方的に通告し、これ等の者のチエツクオフを中止した。同年九月には更に副部長、参事に二〇人を昇格させ、同年中にはこれが約一〇〇人に及んだ。これによつて、従来組合規約によつても又組合員資格を定める労働協約の運用においても組合員の扱いであつた者が、組合活動から分離され、組合組織率は大巾に低下した。副部長は部によつて数人もいて、会社の利益代表とは限らず、又参事は勤務年限のみが資格要件であつて職制とは無関係であるのでこれらの処置は会社の組合切り崩しに外ならない。

(2) 又会社は、組合運動についての情報をえたり、或いは対組合工作をするために、組合員にスパイ活動をさせようとした。

例えば、昭和三六年二月に、高田雅之に対して行つたケース、同年一〇月に鷹取徹に対して行つたケースなどでは、会社は、本人との身分関係を利用する等して、巧みに同人等に共産党に入党して組合の信用を得た上組合情報をスパイする様すすめるなど、極めて悪質な手段を使つた。

又会社は、組合執行委員等に対し、組合運動を一定の方向に内部から誘導する様働きかけた。例えば、昭和三六年六月から七月にかけて、当時組合はストライキをかけた闘争中であつたが、会社は執行委員小野克正(原告)、組合副委員長鷹取徹に対しストライキに関する工作を依頼した。

そして時としては、会社は昭和三六年七月会社の広告部員を岡山市新西大寺町電通岡山支局二階に集めて、組合員が争議に関する組合の統制に従うのを妨害するような直接行動に出た。

(3) 組合活動家に対する配置転換も行われた。

昭和三六年一月に行われた、原憲正を本社から坂出支局へ行かせた配転については、原は家庭の事情から赴任できぬまま退職を余儀なくされている。

又ストライキを目前に控えた昭和三六年六月二三日に、会社は同年七月一日付で泉本哲夫外九名の配転を発表したが、当時特に配転の必要もなく、該当者の大部分は執行委員、中央委員、闘争部長(闘争中各職場で闘争部が設けられる)、六月三〇日に予定されている大会代議員等活動家であつて、明らかにストの切り崩しを狙つた配転であつた。

(4) その他会社は、外部からの参加者がある組合集会には会場を貸さないとか(昭和三四年一〇月)、「安保問題を討議する集会には会場を貸さない。社内で討議した場合は処分する」と通告する(昭和三五年五月)等組合運動を牽制したり、組合書記局には社外に通じない電話を設けたり(昭和三六年四月新館落成後)、新館落成記念祝賀会に際し組合掲示板の組合掲示物を勝手にはがす(同年五月)など、組合に対する悪感情を露骨にあらわす行動をとつている。

三、昭和三六年秋以後の状況

(一) 昭和三六年一二月頃から長崎厳、松枝達文、小野敏等会社の意を受けた者達は会社より便宜を与えられて、組合分裂工作をすすめた。昭和三七年一月一一日、これらの者は土曜会という組織を作り、発行責任者不明の土曜会々報と題する文書が連日発行されるようになり、これは本社外の組合員へは莫大な費用をかけて速達便で送付された。従来社内では組合の配布する文書については厳重にチエツクされていたのにかかわらずこれ等の文書は、勤務時間中職制の目前ででも、どんどん配布されていた。この様にして昭和三七年二月二〇日に、約一〇〇人が集つて第二組合が設立された。第二組合は翌二一日会社に組合結成を通知した。

(三) この様にして成立した第二組合に対して、会社はいろいろな便宜を与えた。例えば、第二組合の指導者に社長乗用車の使用を許したり、第二組合の組合用務に会社の長距離用電話専用線の利用を許容していた。又昭和三七年五月には、第二組合と締結した時間外協定を、山陽労組に対しては拒み、山陽労組の組合員のみが残業できぬ状態が発生した。又第二組合員が組合用務で、あるいは私用で職場を離れる場合(山陽労組の組合員の場合にはきびしく問題とされるのに)これを放任するなど、会社は第二組合の活動を陰に日向に援助している。

(四) これに対して、山陽労組の活動については、職場の日常の中できびしい制限を行つている。

例えば昭和三七年七月、印刷部の山陽労組員が休憩時間から手持時間にかけて、休憩室にいて職場をあけたこと、西大寺産業の従業員と話し合つたことを理由にこれらの者を譴責処分に付した。しかしその集りに加わつていたもので第二組合員であつた者は処分されなかつた。又同じ日に職場を離れ魚取りをして遊んでいた印刷部の副部長は処分されなかつた。

それから同じ年の八月には、山陽労組の上部団体である新聞労連の青年婦人協議会の大会に印刷部から山陽労組々合員が二人出席する予定であつたが、仕事の面では何等さしつかえがなかつたのにかかわらず出席を中止させた。

又本件解雇後には、会社は、原告等が組合の職場集会に参加することを認めず、原告等が参加する集会には会場使用を拒否する方針をとつている。原告等は組合役員として組合用務の伝達の必要があり当然組合の集会に出席する権利があるが、会社はこれを妨害し、原告等を実力で排除したこともある。以上は一例であるが、会社は山陽労組の活動に対して第二組合に対するのと異り厳しい規制を行つている。

(五) 又会社は第二組合の組合員特にその活動家を昇任昇格して優遇したのに反し、山陽労組の組合員を冷遇し、遠隔地等へ配置転換している。特に組合活動の妨害のための山陽労組の活動家を分散、隔離するための配転および該当者を困惑させあるいは他への見せしめとする目的で、山陽労組員を特定職場、特に誰でも希望する新聞編集の中枢的職場から排除する配転が強力に推し進められ組合員に動揺を与えた。

(六) それから職制が下僚に組合脱退をすすめる等の組合脱退工作や職場における職制の山陽労組員に対する威圧的発言(例えば昭和三六年七月の大組課長の発言等)又はいやがらせ等により山陽労組員を職場にいずらくする例が数多く存在する。

別紙(九) 各年月別基準内基準外賃金一覧表(乙)<省略>

別紙(一〇) 各年別基準内基準外賃金合計一覧表<省略>

別紙(一一) 各年別一二月分基準外賃金一覧表<省略>

別紙(一二) 各年別身分手当関係損害一覧表(甲)<省略>

別紙(一三) 各期別一時金一覧表(乙)<省略>

別紙(一四) 各期別身分手当関係損害一覧表(乙)<省略>

別紙(一五) 総括表<省略>

別紙(一六) 昭和四三年(ヨ)第一九四号賃金支払仮処分命令申請事件決定主文<省略>

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